資料記号

maregaA3

標題

フォンド・マレガ ファイル A3

年代

1646~1861 (年代未記入文書や概要メモ・新聞紙等は除く)

主年代

年代記入文書663点中、貞享106点、明和85点、元禄75点

年代注記

正保3年(1646)~文久元年(1861)

記述レベル

ファイル

数量

レコード数840件(A3.1.1~A3.22.43)、古文書 状727、包紙13、袋1、こより87、カード1、新聞(切れ端を含む)8、封筒1、紙片など

物的状態注記

A3は、洋服箱に収納されバチカンに送付された資料群。洋服箱は、大分市にあった一丸デパート(1934年~43年)に出店していた「紅屋洋服店」のものであり、状物が多数収納されていた。

出所/作成

マリオ・マレガ。日本の古文書は臼杵藩宗門方を原出所とする。

履歴

フォンドと同様

地名

大分県臼杵市・大分市、東京都目黒区碑文谷

役職等

サレジオ会宣教師、臼杵藩宗門方

伝来

1953年にマリオ・マレガ神父よりバチカンへ寄贈

入手源

フォンドと同様。

範囲と内容

ファイルA3は、臼杵藩宗門方を原出所とする文書群と、マレガを出所とするメモなどによって構成され、それは22のサブファイルによって構成される。このサブファイルのまとまりは、文末表にみられるように、年代的にばらつきがあり、臼杵藩時代の原秩序を残しているとは考えづらい。おそらくは箱に詰め込まれた際に形成されたものであろう。臼杵藩宗門方を原出所とする文書群は、藩士や領民などが、宗門改の実施、類族の死亡・出生・移動、剃髪などについて臼杵藩宗門方に報告した文書が中心である。類似資料が束ねられている。また、端裏に臼杵藩宗門方が整理した際に記した記号と考えられる「イ」が記されている文書もある。

A3には、次のような4種類の文書が多く含まれている。一つ目は、藩士が組ごとに藩宗門方に宗門改の実施報告をした文書である(端作りは「切支丹宗門御改ニ付御書物之事」)。二つ目は、切支丹本人や類族について村や町における生死や移動などを庄屋や町年寄が臼杵藩宗門方に報告した文書である(端作りは「覚」)。臼杵藩宗門方は朱書で「女入」「男出」「男死」などとその内容情報を付与した。三つ目は、切支丹本人や類族の死亡を村役人と五人組構成員及び檀那寺が臼杵藩宗門方に報告した文書である(端作りは「御書物之事」)。村役人や五人組から臼杵藩宗門方に宛てた文書と、檀那寺から臼杵藩宗門方に宛てた文書が一緒に巻かれていた。臼杵藩宗門方は、これらを受け取り1組として巻き、外側の文書の端裏に概要を簡潔に記している。四つ目は、他領出身で婚姻などにより臼杵藩領で生活していた本人同然や類族の死亡、改名、欠落などについて出身の藩に報告した文書の下書である「覚」。毎年6月15日と11月15日にまとめて報告している。ほとんどに1字ずつ確認した朱による「ヽ」などの印が付けられていた。間違いなく浄書したという確認であろう。

A3の臼杵藩宗門方を原出所とする文書群には、マレガによるスタンプや整理番号が記されていない。また、『豊後切支丹史料(正・続)』に所収されていない。各文書の圧縮状態や虫損の状況などから、A3の臼杵藩宗門方を原出所とする文書群はマレガによる整理があまりなされていない可能性がある。ただ、見出しとして「ryo-nin-ji」と書した後に文書の概要をローマ字で書いた封筒(A3.18.5.0)が含まれており、文書群の整理に取りかかろうとした様子をうかがわせる。

使用言語

おおよそ日本語740件、伊語1件、ローマ字1件

記述日

2016/11/20

記述者

佐藤晃洋

参照用画像