- 資料記号
maregaA5
- 標題
フォンド・マレガ ファイル A5
- 年代
1646年~1877年
- 主年代
江戸時代
- 年代注記
正保3年(1646)~慶応3年(1867)
- 記述レベル
ファイル
- 数量
223点(紐12点、カード3点、包紙29点、紙片9点、封筒4点、古文書163点ほか)
- 物的状態注記
A5は、包紙を利用した管理がマレガのもとで作り上げられていたと考えられる。マレガ番号は、資料・包材に記される。西暦を鉛筆で資料に書き込んだものも少なくない。
- 出所/作成
マリオ・マレガ。日本の古文書は臼杵藩宗門方を原出所とする。
- 履歴
フォンドと同様
- 地名
大分県臼杵市・大分市、東京都目黒区碑文谷
- 役職等
サレジオ会宣教師、臼杵藩宗門方
- 伝来
1953年にマリオ・マレガよりバチカンへ寄贈
- 入手源
フォンドと同様。
- 範囲と内容
A5は、紐・包紙(新聞紙・包材紙)などで一括された四つのまとまりからなる。四つの関係を物理的な状態から推測することは難しいが、バチカン図書館では収納棚にまとまって置かれた物を保存用の袋に収めており、関連があるものとみられる。これらの資料はほとんどが、五人組の構成員や、宗門改めの実施、村内の領民の人口・出生・死亡・移動などについて臼杵藩の宗門方に報告した文書だと考えられる。
A5.1は英字新聞で包んだ上で、麻紐で括られていた。また、麻紐には内容を記したカードが挟まれていた。カードのうち1枚には、「386-392」と記されていた。マレガ番号を記したと思われるが、386、390~392は含まれていない。
文書11点はそれぞれ1点ごとに封筒・包材でなど包まれていた。いずれも村々から藩宗門方に提出された宗門改めに関するものであるが、年代・村名などは同一ではない。A5.1.5の包紙には、「393-407」とマレガ番号を記しているが、393、397、398、400~403は含まれていない。
なお、A5.1.3.1の「浄土宗宗旨御改帳」とA5.1.5.5.1「類族之内縁付仕者御帳」の表紙には”吟味済”、”済”と朱書があり、宗門方での事務の一端を確認できる。
A5.2は、全体を1枚の紙で包んでいる。その包紙には、マレガ番号と思われる、「230-244」の数字が記されているが、231はこの中に含まれていない。文書は役職支配ごとに藩士の家内数をまとめた「宗門改ニ付家内人数覚」14冊からなる。これらは麻紐で括られていた。資料の成立年代は文政期6点、元禄期3点などである。
A5.3は、全体が1938年2月27日付の大阪毎日(東京日日)の英字新聞で包まれていた。この包紙には「M.277-321」とマレガ番号が記されており、そのすべての文書が含まれている。
文書は、類族として出生した子どもを報告した「類族出生子御改之御帳」1冊、人口、出生者数、死亡者数、病人数などを記した享保12年(1727)、天保4年(1833)、弘化5年(1848)の「人高御帳」合わせて22点と、22の村組をまとめた享保18年の「人高御帳」1綴から構成されている。享保18年の綴中の野村組が提出した資料の表題だけは「絵踏御目録之御帳」と記されていることから、絵踏の事前調査のための資料だった可能性もある。
A5.4は、全体を1枚の紙で包んでいる。その包紙には、「M90-M200」とマレガ番号か記されているが、M135とM159の文書は含まれていなかった。
文書は、畳屋町の五人組の当主の氏名と旦那寺を記した「五人組之覚」1点と五人組ごとに、キリシタン禁制に関して守るべき5項目を記して、各当主が署名捺印し、旦那寺の証明を貼り付けた「きりしたん宗門重而御改ニ付五人組御書物之事」が109点で構成されている。
A5.4.2.1.1~19は東神野村(臼杵市)分をまとめたものである。この中に端裏に朱で「+」が記されている資料が6点あり、うち5点は、五人組内に「転んだ」者がいた資料であった。また、41点の資料が現在の臼杵市野津町の村に該当するものだが、一つを除いてその他の資料にはすべて「転んだ」ものまたはその子孫が含まれていた。
- 使用言語
おおよそ日本語200件、伊語23件、英語4件
- 記述日
2016/11/30
- 参照用画像