- 資料記号
maregaA16
- 標題
フォンド・マレガ ファイル A16
- 年代
- 1635年~1959年
- 主年代
- 17世紀・20世紀のものもあるが、主な作成年代は18世紀から19世紀中葉
- 年代注記
- 寛永12年(1635)~昭和34年(1959)
- 記述レベル
ファイル
- 数量
- レコード数649件(内訳:状342、竪帳44、横帳6、綴5、絵図・地図2、ノート1、カード14、葉書10、紙片118、原稿2、袋6、包紙46、封筒13、新聞12、紙縒10、紐17、付箋1、厚紙1)
- 物的状態注記
- 2013年の概要調査開始当初よりバチカン図書館の殺菌用無酸素システムの特殊プラスチック製袋に入った状態であったため、それ以前に収納されていた容器の有無やその概要などは不明である。紙紐・麻紐・新聞紙・ツツミ紙・封筒などで区分された八つのまとまりからなる。2013~2016年の概要調査を通じて保存措置が講じられ、現在は中性紙の保存用封筒や簡易な畳紙に収められ、専用容器に収納されている。
- 出所/作成
- マリオ・マレガ。マレガ収集文書の主な出所は臼杵藩宗門方。一部、府内藩などを出所とする。
- 地名
- 大分県臼杵市・大分市、東京都目黒区碑文谷
- 役職等
- サレジオ会宣教師
- 伝来
- 1953年にマリオ・マレガよりバチカンへ寄贈された。1959年のイタリア新聞などもみられ、一部の追加・混入も考えられる。
- 範囲と内容
A16は八つのまとまりからなる。それらは、1930~50年代の新聞紙・ツツミ紙・封筒・紙紐・麻紐などによって一括された文書や、マレガあるいは協力者が記したメモが大半である。ツツミ紙として使われた新聞紙の年次からは、1930年代後半から1940年代前半のマレガによる資料整理・活用を推定できる。ただし一部に、近世に作製されたと思われる紙縒で括られた同じ年次の文書の一群があり(A16.7.3.2、A16.7.4.1、A16.7.4.2など)、これらは臼杵藩宗門方の整理・管理の痕跡とみることもできる。
A16.1は紺色のツツミ紙で包まれたものが中心で、「御入箇目録」「日記」など臼杵藩宗門方の物品請払いや日常勤務に関する資料、「支配中家内附」など臼杵藩士各家の家族人数がわかる資料を収める。
A16.2は、マレガ番号B895~909の文書が新聞紙によって包まれており、臼杵藩士が差出人となっている資料を集めたものと思われる。
A16.3は、マレガが記入したカード5枚が積み重ねられている。
A16.4は、マレガによる資料整理や分類作業の実態がよくわかるまとまりである。中でもA16.4.4.1.1「Catalogo dei documenti nella persecuz. in Giappone D. Marega 1938 (マレガ・カタログ)」は、マレガが付した資料番号(マレガ番号)に基づく資料整理台帳であり、収集した文書に1~1000、M1~M1000、B1~B941の番号を付与し、それぞれの作成年代や分類・概要が記入されている(ただしM801~B13は作成年代のみ)。本資料群の管理・伝来を考察するうえで、最も基本的な資料となる。
以下、A16.4のうち、マレガの整理・分類意図が推測できるものを列記しておく。
A16.4.1.2:寺社奉行管轄の文書および明治維新後の文書をまとめたもので、宗門方とは異なる性質のものとマレガが判断した資料群。A16.4.1.3:宗門方役人や代官所が踏絵帳面を作成する用紙を諸用方などから受け取り、使途と残数を記した証文の綴。紐の種類や綴じ位置から考えて、明らかに後年に編綴されたものであり、マレガの手による可能性もある。A16.4.1.4:マレガ番号B74として登録した書状や竪帳の断簡を収める。A16.4.2.2.1:逗留延期願いに関する書付。A16.4.2.2.2:帰参・引越についての書付。A16.4.2.2.3:縁付に関する文書。A16.4.4:マレガが行った資料整理に関わる台帳・メモ類を集積したもの。A16.4.6:裁断された竪帳などの断簡復元を目的として集められたものであり、出所は岡藩である可能性がある。A16.4.7.1~3:切支丹禁制一般に関わる帳面や臼杵藩以外の諸藩の宗門改めに関する文書。16.4.7.4:元禄2年(1689)8月~9月の類族出生に関する綴。各文書には異なるマレガ番号が付与されており、これも後年にマレガによって綴られた可能性がある。A16.4.7.10:文政12年(1829)の「生死出入之者覚」を集めたもの。A16.4.7.11~12:宗門方で作成した文書収納袋のまとまり。A16.4.8:マレガによるメモ類を集積したまとまり。
続くA16.5およびA16.6は、臼杵家中に関わる「切支丹宗門御改ニ付御書物之事」や「家内附」などをまとめている。
A16.7は、昭和34年(1959)6月25日付の「IL QUOTIDIANO」という新聞紙に包まれていたもので、寛永12年(1635)11月に三重下村組宮尾村の農民が提出した「きりしたん宗門御改ニ付起請文前書事」(A16.7.2.1~12)、延宝7年(1679)正月に臼杵藩領内の寺院が提出した「切支丹宗門御改ニ付御書物之事」(A16.7.4.1.1~17)、元禄16年(1703)正月の同文書(A16.7.4.2.1~13)、宝永2年(1705)正月の同文書(A16.7.3.2.1~A16.7.3.31)が中心である。これらは、いずれも宗門方の文書管理秩序を比較的温存した形で残されており、これ以外の資料の秩序のあり方とは明らかに異なる。包んだ新聞紙の年月日から1939年以降に東京よりバチカンへ追送されたものと考えられる。
A16.8は、臼杵藩による踏絵で居踏を行う者を調査した「病人御改之帳」「病人附」、ならびに府内藩の宗門改めに関する文書を集積したものと推測される。
- 使用言語
- 日本語、伊語、英語(新聞)、ローマ字
- 記述日
- 2017/11/15
- 参照用画像