資料記号

maregaA20

標題

フォンド・マレガ ファイル A20

年代
1702年~1789年
主年代
江戸時代
年代注記
元禄15年(1702)~寛政6年(1794)
記述レベル

ファイル

数量
レコード(内訳:古文書・状1241、新聞1、紐10、包紙6、紙片8、紙縒24)
物的状態注記
A20は、2つの文書群(A20.02.01、A20.02.02)が新聞紙(イタリア紙IL TEMPO1959年5月17日版)に包まれ、保存用綿テープで一括されていた。A20.02.01と A20.02.02は、それぞれ袋に納められており、A20.02.01の袋には「宝暦十三未年十一月廿一日より、類族婚儀所替、御直参奉公人付届、養子離別剃髪、御直参奉公人付届、御家中又者奉公人、家内引越出入付届証文、「同十四申年六月廿日まて」、A20.02.02の袋には「明和元申十一月廿一日より、類族婚儀所替証文、養子離別剃髪、御直参奉公人付届、御家中又者奉公人、御家内又者奉公人、家内引越出入付届証文、同二酉(とり)[ ](破損)」と納めてある文書の年代と種別が記されている。
出所/作成
マリオ・マレガ。日本の古文書は臼杵藩宗門方を原出所とする。
地名
大分県臼杵市・大分市、東京都目黒区碑文谷
役職等
サレジオ会宣教師
伝来
1953年、マリオ・マレガよりバチカン図書館が寄贈を受ける。
範囲と内容

A20.02.01は、9のまとまりから構成される。それぞれが帯紙で束ねられ、麻紐で結わわれていた。形態は全て状である。帯紙にはそれぞれマレガ番号で「B83」と記されている。各まとまりの年代と点数は【表1】の通りである。総点数は585点であり、宝暦期が多数を占めている。

内容は、多くが領民の転入・転出に関するものである。何らかの事情による引越届は190件であるが、養子縁組(144件)・婚儀(56件)も引越をともなう場合がほとんどであることから、それらも引越届に加わることとなる。それ以外では、逗留延長願(44件)がある。これは、学問のために江戸や京都などの寺院へ逗留中の者が、逗留の期間延長を願い出たものである。他方、転出・転入とは関係なく件数が多いものとしては剃髪届(39件)があげられる。

A20.02.02は、13のまとまりから構成される。形態は全て状である。こちらはマレガ番号によるまとまりではなく、取り上げ原則を上から下とし、取り上げ者がまとまりと判断したものに番号を符っている。各まとまりの年代と点数は【表2】の通りである。総点数は656点、年代は宝暦期以前であり、まとまりとしてはA20.02.01より古いことになる。

中身は、ほとんどが出生届(618件)である。これらには、出生者名に加え、どこを檀那寺としたかが記載されている。差出は村の庄屋か町年寄である。また、兄弟の有無など家族の現況を書き加えたものもある。例えば、A20.02.01.01.04(延享3年〔1746〕7月28日、山奥村庄屋四郎右衛門→大脇儀右衛門他2人)には、「長谷村九右衛門玄孫角六当寅壱歳、右角六七月廿五日出生仕候、父方寺真宗了仁寺旦那仕候、此者兄弐人御帳ニ出申内壱人病死仕候」とある。どこの村の誰の子孫、檀那寺の宗派と寺名も明記されており、これらの出生届は近世中期臼杵藩の村況分析に大いに活用できるであろう。但し、一つ懸念されるのが、出生届を提出された者の性別がほとんど男子で、全体数からして女子はごくわずか(57件)であるということである。したがって、女子の出生届が少ない理由を含めた分析が必要となる。

使用言語
おおよそ日本語1241件、伊語(新聞1、メモ1)2件
記述日
2018年08月25日
記述者
浪江健雄
参照用画像