- 資料記号
maregaA4
- 標題
フォンド・マレガ ファイル A4
- 年代
1671年~1938年
- 主年代
江戸全期
- 年代注記
寛文11年 (1671)~嘉永4年 (1851)/~昭和13年 (1938)
- 記述レベル
ファイル
- 数量
910レコード(内訳 状836点、包紙9点、紙縒18点、袋1点、紙片10点、紐21点、新聞5点、封筒1点、その他9点)
- 物的状態注記
大分市竹町四丁目に所在した一丸出張店紅屋洋服店の箱に入れられていた。紙縒で一括された20のまとまりと、新聞で一括されたまとまりが一つ、1枚もの35点の古文書群からなる。
- 出所/作成
マリオ・マレガ。日本の古文書は臼杵藩宗門方を原出所とする。
- 履歴
フォンドと同様
- 地名
大分県臼杵市・大分市、東京都目黒区碑文谷
- 役職等
サレジオ会宣教師、臼杵藩宗門方
- 伝来
1953年にマリオ・マレガよりバチカンへ寄贈
- 入手源
フォンドと同様。
- 範囲と内容
本文書群の大部分は(1)臼杵藩において諸方から宗門奉行に提出された「覚」(内容は後述)などであり、そのほか(2)近代以降に整理の過程で混入した書や短冊などから構成される。
(1)は、臼杵藩内諸役所や寺院、村方や町方などから臼杵藩宗門方に宛てて提出された文書(「覚」)や書状などである。江戸期の管理の痕跡として、数点から数十点のまとまりが紙縒で一括された状態が維持されており、本文書群には20のまとまりが確認できる。また、ばらばらのものが35点あり、うち20点は享保18年(1733)11月のものであることから、享保18年11月の20点もかつては一括されていたものと思われる。まとまりごとの点数は別表の通りである。
まとまりの特徴は、a.一部を除き基本的に受理した文書(「覚」)を月単位で一括していること、b.差出は庄屋・弁指・町年寄などの地域代表者、寺社や僧侶などの旦那寺、藩士や会所など諸役所、他藩宗門方など、多岐に亘ること、c.内容は踏絵・落髪・剃髪・死去・縁組・改名・転居・逗留など、類族の管理に関するものが主であること、d.差出や内容・地域によらず、月単位で文書が一括されていることの4点である。併せて、文書管理に関わる情報として「享保八年正月より十二月まで イ 月番万書付入并組合除書付入」と題する文書袋、端裏に「イ」と書き込まれた資料群、「御日記済袋ニ入候書付」とする付箋が確認できる。
以上の特徴と、臼杵藩宗門奉行3名が月番で勤務していたことを勘案すると、①宗門奉行は月番勤務ごとに業務上のやりとりで発生した文書(の一部)を紙縒で一括し、年単位で袋に入れて管理していたこと、②一部は何らかの帳面(日記)に転記され、転記が済んだものを一括のうえで袋に入れて管理していたこと、③文書管理および分類に関して「イ」「ロ」「ハ」を用いていたことが推測される。本文書群に残された袋は享保8年のものだけだが、本文書群の大半は享保8年のものであり、本来袋に入っていたものが、いずれかの段階でばらばらになりながらも、整理の痕跡が残されたものだと思われる。
本文書群でみられる①②③の特徴は、臼杵藩宗門方における原簿の管理のあり方としてどれほど一般化できるのかは、A21までのまとまりの残され方から検討する必要がある。
なお、本文書群中で最も古い資料は、資料番号56の寛文11年(1671)から延宝4年(1676)の宗門手形など17通である。56は固着して開封不能状態だったが、バチカン図書館による修復の結果、紙縒で綴じられた8つのかたまりからなることがわかった。
(2)はマレガが大分市紺屋町カトリック教会滞在期にやりとりしたと考えられる書簡や俳句、漢詩などである。高山右近子孫で元大分市長の高山英明や、大日本武徳会大分支部などとの通信が確認される。本文書群を収納していたのが大分市竹町四丁目に所在した一丸出張店紅屋洋服店の箱であることや、ツツミ紙として用いられている東京日日新聞が1938年と1940年のものであることから、マレガが大分教会に赴任していた1940年頃には、A4のまとまりが形成されていたと考えられる。なお、本文書群にはマレガによる整理の痕跡(マレガ№や書き込み)は絵はがき1点(A4.4)しか確認できないが、A4.4にはイタリア語で「(イ)の書き込みがある手紙は享保(1716~1735)のもの」と書かれてあり、マレガは本文書群の内容をある程度理解していたと考えられる。
- 使用言語
おおよそ日本語866件、伊語3件、英語2件
- 記述日
2016/11/20
- 参照用画像