資料記号

maregaA6

標題

フォンド・マレガ ファイル A6

年代

1635年

主年代

1635年

年代注記

寛永12年(1635)

記述レベル

ファイル

数量

古文書89件371点(内訳:22状(304点)と66点(内4点は表紙など)、封筒1点)、他にツツミ紙・新聞23点、紙片26点、カード3点、封筒(現代のもの)1点、紐19点(麻紐、紙縒、紐)

物的状態注記

個別の文書を糊で継いで管理していたとみられる。そのため、取り扱いに注意が必要である。

出所/作成

マリオ・マレガ。日本の古文書は臼杵藩宗門方を原出所とする。

履歴

フォンドと同様

地名

大分県臼杵市・大分市、東京都目黒区碑文谷

役職等

サレジオ会宣教師、臼杵藩宗門方

伝来

1953年にマリオ・マレガよりバチカンへ寄贈

入手源

フォンドと同様。

範囲と内容

A6は、古文書を和紙や英字新聞紙などで丁寧に包み、さらにそれらを集めて包装紙で包むことが丁寧になされ、全体を紐で一括して存在した。傷みが進んでいる文書は和紙で包むなど他と比して極めて慎重な取り扱いになっている。また、括り紐には内容を記したカードが2枚挟まっていた。

本資料群のほとんどは、寛永12年(1635)に臼杵藩の村・領民から宗門方に提出された切支丹改めに関する起請文であり、資料は、若干の文言の違いはみられるが、「きりしたん宗門御改ニ付起請文前書之事」と記される。広く「南蛮誓詞」として知られる文書であり、点数は364点に及ぶ。他に庄屋の請状「重而きりしたん宗門被成御改ニ付御請状之事」と、寺院の請状「きりしたん宗門御改ニ付御請状」が各1点である。

形状的には、村や町ごとに複数通から数十通まで継がれた継紙の状態ものが多くみられる点が特徴であり、その数は22件(状)に及ぶ。村ごとに継いであり、それぞれの文書数は中ノ川村14点、吉野辻村21点、北村13点、津久見畑村・松川村23点、宇対瀬村9点、黒野村・赤野村15点、きも入村13点、通村20点、東神野村10点と11点、かわら内村11点、松原村8点、末廣村32点、菅生村15点、細枝村14点、久木小野村25点、小河内村12点、畳屋町9点、左津留村12点、戸次市村2点、三重野村・戸室村10点、村名が不明なものが1件5点である。なお、東神野村は10点と11点のものがある。10点と11点の文書群の違いは、前者は圓福寺の門徒が大半で、上記の寺院の請状「きりしたん宗門御改ニ付御請状」が起請文9点の前に継がれている。後者は妙楽寺の門徒が大半を占める。圓福寺・妙楽寺ともに禅宗で、妻帯僧と記されている。この両寺院は妻帯僧なので証明は無効とされたため、両寺院の門徒は臼杵の見星院など新たな旦那寺を決め、門徒である証明をもらっている。但し、久木小野村の圓福寺門徒19軒が提出した南蛮誓詞はそのまま認められている。また、「寛永拾弐(12)年東神野庄屋書物」と書かれた封筒があり、東神野村の文書群はこの中に入れられていたとみられる。

単体で収められているのは、横尾村2点、芦苅村13点、持丸村2点、くらその村1点、大内村1点、家嶋村21点、一ノ尾村15点、田原村1点、山奥村4点、玉り水村1点と不明1点である。上記の庄屋の請状「重而きりしたん宗門被成御改ニ付御請状之事」は一ノ尾村(市尾村)のもので、単体で収められている。この庄屋の請状には、訴人褒賞制度の内容や、キリシタン穿鑿の方法などが記されており、当時の弾圧の状況がわかる。

寛永12年の起請文は、他の袋にも若干含まれているようである。A6の中には収められていないが、この提出された起請文を基にして、寛永12年に村組ごとの「きりしたん宗門御改之御帳」(サレジオ大学所蔵)が作成されている。文書を継いだのは庄屋から受け取った宗門方の可能性が高そうである。

なお、同梱されたカードには、「日本のカトリック教会への迫害に関する手書き文書、ドン・マレガ収集、棄教の宣言、№220~260、1635年、小包番号4番」(A6.1.1)とあり、もう1枚には「日本のカトリック教会への迫害に関する手書き文書、ドン・マレガ収集、№270~277、326~340、278~298、1635年、棄教の宣言、小包番号4番」(A6.2.2.1.1)とあった。カードに記された番号(マレガ番号)の文書のあらかたは、この括りのなかに存在したが、№220~225、228、249、258の9点は確認できなかった。また、カードに記載のない№261~269のマレガ番号が付された資料が確認できた。

使用言語

おおよそ日本語371件、伊語25件、英語10件

記述日

2016/11/20

記述者

大津祐司

参照用画像