- 資料記号
maregaA21
- 標題
フォンド・マレガ ファイル A21
- 年代
- 1715年~1956年
- 主年代
- 近世では正徳5年(1715)及び文政13年(天保元、1830)のものがまとまっている。近代では、明治期のものが若干存するが、昭和5~同31年(1930~1956)のもの、なかでも昭和24年(1949)のものが多数を占める。
- 年代注記
- 正徳5年=99点、文政13年=40点、弘化3年=3点、文政6年=2点、享保11・同12・延享4・文政元・同12・天保14・嘉永2年=各1点、明治14・15年=各1点、明治期=7点、昭和24年=33点、昭和12年=4点、同13年=3点、同15・19・20・23年=各2点、同5・16・18・21・31年=各1点
- 記述レベル
ファイル
- 数量
- レコード数493件(主な内訳:状220、竪帳5、横帳・横半帳5、刊本39、新聞24、カード37、包紙66、銀札19、瓦1、矢尻1、メダイ1、他)
- 物的状態注記
- A21は、その全体がバチカン図書館の綿テープによって括られ、保存袋に納められていた。大きくA21.1およびA21.2の二つのまとまりからなり、A21.1は10の小さなまとまりが細い麻紐によって一括され、A21.2は新聞に利用した小包であった。
- 出所/作成
- マレガ、臼杵藩宗門方、臼杵市戸上家(詳細不明)
- 履歴
- フォンドと同様。臼杵市戸上家(詳細不明)
- 地名
- 大分県臼杵市・大分市
- 伝来
- マレガによってバチカンに寄贈された。
- 入手源
- マレガ、臼杵藩宗門方、臼杵市戸上家(詳細不明)
- 範囲と内容
A21は、A21.1.とA21.2.の二つからなるが、下位のまとまりも留意して示すならば次の通りである。
A21.1.1は、巴紋に中川クルスが刻まれた瓦破片、瓦裏面に「岡城 江戸時代」と墨書がある。昭和24年(1949)の英字新聞(STARS STRIPES)で包み、カードを置いて、細麻紐を十字に掛けてあった。
A21.1.2は、紐などはかけてなかったが、マレガ自身の別府市への立入許可証2点があるほか、『大分縣先賢明家人名辞典』『大分縣農業功労者名鑑』等の大分県郷土文化研究会の刊行物、大分県内・大分市内・雲仙国立公園・帆足萬里関係等の絵葉書が空間的にまとまっていた。
A21.1.3は、空間的にまとまったものであり、『大分縣先賢明家人名辞典』のほか、『大分縣先賢名家遺墨集』『大分縣貴重郷土文献資料』『大分縣先賢名家遺文録』『松平不騫句集』等の大分県郷土文化研究会の刊行物がほとんどを占めている。
A21.1.4は、空間的にまとまったものであり、昭和24年(1949)に大分市で開催された「聖ザヴイエル師渡来四百年祭記念 豊後キリシタン史展覧会」の出品目録が9点あるほか、新聞の切抜が比較的多くみられる。大分県郷土文化研究会の刊行物として、『松平不騫句集 続』『麹齋文集』の2点が含まれている。文楽関係の刊行物と絵葉書も見られる。また、銀札が8点ある。なお、文政6年(1823)に、大友氏歴代の廟所を代拝のため家来を派遣するので、由緒ある者は住所・姓名等を知らせるよう求めた「豊後国 大友家由緒中」宛の大友義方書状がある。
A21.1.5は、空間的にまとまったものであり、近世の「落判過料銭」関係の包紙が多数みられるが、ほかは多種多様な内容になっている。矢尻・メダイの現物や守札や銀札(11点)がある。杵築藩領の生地・宗近組関係や臼杵藩郡方関係などの文書も若干みられる。新聞切抜や昭和21年(1946)の『米国教育使節団報告書』もある。新聞切抜のなかには、マレガに古事記のイタリア語版を刊行するための補助金が支給されることを報じた昭和12年(1937)12月3日の記事もある。また、マレガの写真も含まれている。
A21.1.6は、マレガが描いたマンガ絵による半生記1点である。昭和20年(1945)の大分・別府空襲などが描かれている。
A21.1.7は空間的にまとまったものであり、マレガが描いたマンガ絵による半生記1点(A21.1.7.4)および絵巻物断簡2点(A21.1.7.1、A21.1.7.3)、これに経典と思われるものの断簡(A21.1.7.2)が一緒になっていた。マンガ絵には昭和4~同6年(1929~31)にかけて中国や日本各地を訪れた様子が描かれており、断簡には伊勢神宮・熱田神宮を訪れた様子が描かれている。A21.1.7.2はドン・ボスコ社の封筒に入れられ、絵巻物断簡の間に挟まっていた。
A21.1.8は、マレガが描いたマンガ絵による半生記1点である。明治35年(1902)9月30日の誕生から、昭和4年(1929)に日本に向けて出立し、コロンボに到着したところまでが描かれている。
A21.1.9は全体を茶色の紙紐で括ってあった。享保期から明治10年代の戸上家に関わる文書(A21.1.9.2)が見られ、内容的にも臼杵藩宗門方役所文書群とは出所を異にする。マレガの資料整理に関するメモも含まれるが、入手の経緯などは不明である。
A21.1.10は資料全点を重ね、紙縒で2か所を括り、それを昭和15年(1940)の大分新聞で包んでいた。紙縒の括りは、臼杵藩宗門方による整理によるものと思われる。臼杵藩宗門方による戸籍管理上の諸書類で、ほとんどは文政13年(天保元、1830)のものであり、その他文政12年(1829)の通行手形が1点含まれている。
A21.2は全体を紙縒で括り、それを昭和13年(1938)と推定される新聞紙(上部欠損)で包んでいた。紙縒による括りは、臼杵藩宗門方によるものと思われる。全て正徳5年(1715)に臼杵藩宗門奉行に差し出された出生届である。
以上、A21は臼杵藩宗門方に関わる文書や大分県郷土文化研究会の刊行物が一応纏まっているが、それぞれ別種のものも多数含まれる。同種のものが複数のグループに散在する状況も認められる。さらに、宗門方とは明らかに出所を異にするものも含まれている。
年代のはっきりしている文書については、正徳5年(1715)・文政13年(1830)・昭和24年(1949)に集中しているのが特徴である。正徳5年は99点、すべて宗門奉行宛に差し出された出生届であり、1点が臼杵懸町年寄から、他はすべて臼杵藩領村々の庄屋から宗門奉行三名宛である。7月から11月にかけて作成されている。文政13年のものは、臼杵藩領村々および寺院から宗門奉行宛に差し出された各種の届書・伺書等からなり、五人組除け届、欠落届、葬礼伺、出家伺等々、戸籍管理上の文書である。なお、年代は明記されていないが、同年と推定されるものも多数ある。
昭和24年は、大分縣郷土文化研究会が発行した『大分縣先賢明家人名辞典』『大分縣先賢明家遺文録』『大分縣先賢明家遺墨集』『大分縣農業功労者名鑑』『名勝真景幷奇器図』等の刊行物が多くを占めるが、『聖ザビエル師渡来四百年祭記念 豊後キリシタン展覧会出品目録』(9点)も含まれる。
また、マレガの描いたと思われるマンガ絵による半生記は、断簡も含め6点(A21.1.5.5、A21.1.6,A21.1.7.1、A21.1.7.3、A21.1.4、A21.1.8)に分かれるが、1902年の出生から1945年終戦間際に至る。
- 使用言語
- 日本語435件、伊語36件、英語20件、ローマ字10件、他1件
- 記述日
- 2019/10/30
- 参照用画像