資料記号

maregaA11

標題

フォンド・マレガ ファイル A11

年代
1687年~1846年
主年代
江戸時代
年代注記
貞享4年(1687)~弘化3年(1846)
記述レベル

ファイル

数量
466レコード(内訳:古文書・状362、竪帳51、綴1、新聞14、紐22、包紙8、文書カード5、紙片3)
物的状態注記
A11は、2つの文書群(A11.1、A11.2)が保存用綿テープで一括されていた。A11.1は13の小束の文書群を新聞紙(大分新聞1941年1月20日版)で包み、紐で括られ、A11.2は新聞紙(大阪毎日・東京日日英語版1938年2月12日・16日・27日、3月19日、1940年7月9日版、大分日日新聞1938年2月13日版、大分新聞1940年7月5日版)や包材で包んだ3つの文書群を、さらに新聞紙(イタリア紙IL MESSAGGERO1959年6月22日)で包み、麻紐で結わえていた。
出所/作成
マリオ・マレガ。日本の古文書は臼杵藩宗門方を原出所とする。
地名
大分県臼杵市・大分市、東京都目黒区碑文谷
役職等
サレジオ会宣教師
伝来
1953年、マリオ・マレガよりバチカン図書館が寄贈を受ける。
範囲と内容

ファイルA11.1は13のまとまりから構成されるが、いずれも臼杵藩へ提出された享保12・13年(1727・1728)の「御書物之事」(死骸改証文)であり(A11.1.2のみ宝暦10年(1760))、同一人物の死亡情報が寺院と村組から出され、それらの文書は一対をなして管理・伝来した(139件)。いずれも類族が対象となり、記載の大半は「切支丹宗門転」の類族(98件)であるが、「転本人同然」の類族18件、「本人同然」の類族6件、「切支丹宗門本人」の類族8件、「古転本人」の類族8件、「新切支丹宗門転」の類族1件などがみられる。その他、類族多福寺弟子嶺中が肥後小川村三寶寺で死亡した届1点がある。

A11.2は3つの文書のまとまりからなる(A11.2.3、A11.2.4、A11.2.5)。A11.2.3は天保11年(1840)10月25日、各村組から臼杵藩宗門方へ提出された「類族御通」(41点)であり、類族の生死・縁附・離別・所替などの異動について庄屋が報告し、包紙と一緒に綴られたものである。該当者の名前の上には確認印と思われる黒印が押されており、該当者がいない場合は、包紙に墨書あるいは朱書きで「なし」とある。提出された後に藩宗門方が確認し、包紙に表示したことが考えられる。また、A11.2.3には宗門方が使用する筆墨の購入について、大坂の買方へ送った書状1件が含まれている。

A11.2.4は江戸詰の宗門方役人植田㐂助と国元との間で交換した書状などである(30点)。幕府宗門方へ提出した書類の写し、提出に当たっての内容記載の訂正報告などからなる。江戸に交代で宗門方役人が交代で詰めたことも確認できる。

A11.2.5には宗門改の綴りから外れた部分のまとまり、貞享4年(1687)の「転類族之内本人に成者并其類族御帳」、各村組から元禄2年7月に提出された「類族出生之御帳」(元禄元年(1688)12月1日から元禄2年6月29日の期間に出生した子どもと類族の記録。39点)などからなる。

マレガ番号はA11.1「御書物之事」の枝番順に、M27~M48、841~860、M65~M72、M73~M89、811~840、M49~M64、901~920、M3~M26、921~940(929欠番)、861~880、959~980、981~1002、881~900が付与されている。

A11.2は、A11.2.3にB51~B73(B53欠番)とB205~B222、A11.2.4にB330~353、A11.2.5にB47~49、B41~B44、B27~B34(B30とB33欠番)が付与されている。

使用言語
おおよそ日本語414件、伊語8件、英語(新聞)14件
記述日
2017/11/13
記述者
河原晃永
参照用画像