資料記号

maregaA23

標題

フォンド・マレガ ファイル A23

年代
1714年~1940年
主年代
江戸時代
年代注記
正徳4年(1714)~昭和15年(1940)
記述レベル

ファイル

数量
410レコード(状237点・綴70点・紙縒及び紐22点・包紙17点・袋9点・封筒7点・竪帳3点・横帳1点・刊本2点・書写本1点、新聞3点・カード2点・紙片2点)。綴は各アイテムに関わらず1点としてカウントした。
物的状態注記

A23は、バチカン図書館が過去に登録した分である。登録番号Vat.estr.-or.129からVat.estr.-or.146は、茶色の小さな箱に、1940年7月12日付「The Osaka Mainichi & The Tokyo Nichi Nichi」(大阪毎日新聞社による英字新聞)に包まれ、紙縒で一括されていた。Vat.estr.-or.143からVat.estr.-or.146は、それぞれ個別のまとまりとして存在した。さらに調査のなかでVat.estr.-or.48、57、94、129が追加された。これらのマレガ資料群を図書館が受入れた経緯と時期は不明である。調査では、登録番号を残しながら、新規に調査番号A23を与えた。A23.1.1~A23.1.15はVat.estr.-or.129からVat.estr.-or.142に対応し、A23.2~A23.7は、Vat.estr.-or.143からVat.estr.-or.146にほぼ対応する。また、Vat.estr.-or.48はA23.8、 -or.57はA23.9、-or.94はA23.10、-or.128はA23.11に相当する。なお、Vat.estr.-or.129などバチカンでの登録は、紙縒などでのまとまりを単位にしたものであり、詳細な目録は存在しなかった。

A23.1.1~A23.1.3、A23.1.6、A23.1.9~A23.1.11は紙縒一括され、A23.1.5、A23.1.7、A23.1.8、A23.1.15は巻き込む形で一括されていた。A23.1.4 ・A23.1.12 ・A23.1.13 ・A23.1.14は包紙入りである。

A23.2は7つの単位で構成されていた。全体は近代の国内新聞紙(大分県内のものと思われる)断簡で包まれており、その中に「正徳四年御家中家内帳」と上書された袋の中にA23.2.1~7が入っていた。このうちA23.2.1は紙縒一括である。

A23.3は3つの単位で構成されていた。全体は昭和13年1月15日付「豊州新報」断簡で包まれていた。このうちA23.3.1・A23.3.2は紙縒一括である。A23.4は紙縒一括であるが、それぞれ2点ずつ巻き込まれており、19の単位で構成されている。A23.5は7つの単位で構成されている。全体は紙縒一括で、A23.5.1~A23.5.5はそれぞれ紙縒一括である。A23.6・A23.7は紙縒のみである。A23.8・A23.9・A23.10は単体、A23.10は封筒入りであった。

出所/作成
マリオ・マレガ。
地名
大分県臼杵市・大分市、東京都目黒区碑文谷
役職等
サレジオ会 宣教師
伝来
A23のマレガ資料群を図書館が受入れた経緯と時期は不明である。ただし、A23.8は、1949年マレガが教皇ピウス12世に献じたもの。また、A23.9は、1957年にマレガにより図書館に寄贈された。
範囲と内容

A23.1は文政3年(1820)~文政4年(1821)にかけての町ごと(本町・新町・田町・畳屋町・唐人町・掛町)の旅人出入断書である。A23.1.1は6点の紙縒一括で、それぞれ袋入りの文政3年(1820)8月・9月の旅人出入断書である(各包紙を含めて31点)。A23.1.2は11点紙縒一括で、文政4年(1821)6月の旅人出入断書(各包紙も含めて18点)。A23.1.3は6点紙縒一括で、文政3年10月・11月の旅人出入断書(各包紙も含めて39点)。A23.1.4は文政3年12月の旅人出入断書包紙(1点)。A23.1.5は2点巻き込み一括で、文政3年9月の旅人出入断書(11点)。A23.1.6は4点紙縒一括で、文政3年9月~11月の旅人出入断書(20点)。A23.1.7は文政3年9月~12月の旅人出入断書(袋も含めて13点)。A23.1.8は2点巻き込み一括で、文政3年9月~11月の旅人出入断書(19点)。A23.1.9は5点紙縒一括で、文政4年6月・7月の旅人出入断書(28点)。A23.1.10は8点紙縒一括で、文政4年3月・4月の旅人出入断書(13点)。A23.1.11は3点紙縒一括で、文政4年5月・6月・11月の旅人出入断書(21点)。A23.1.12はそれぞれ包紙に入った文政3年12月~同4年正月の旅人出入断書(12点)。A23.1.13は掛町の「辰十二月分旅人出入御書上」に入った文政3年12月の旅人出入断書(12点)。A23.1.14はそれぞれ包紙に入った文政3年12月の本町と畳屋町の旅人・奉公人書上(各包紙も含めて6点)。A23.1.15は3点巻き込み一括で、主に文政3年12月の畳屋町の旅人出入断書(17点)。

A23.2は正徳4年(1714)正月の藩士と寺院の家内人数書上である。A23.2.1は21点の紙縒一括で、2点が藩士(飯沼八左衛門・水谷正親)、19点が寺院の家内人数書上。A23.2.2~A23.2.6も同様に藩士と寺院の家内人数書上である。

A23.3は寛政年間の村方住民の移動と寺院住職の替目証文である。A23.3.1は8点の紙縒一括で、寛政13年(享和元年・1801)の住民の引っ越しや養子の届書。A23.3.2は9点の紙縒一括で、寛政6年~同11年の寺院住職替目証文。A23.3.3も寺院住職替目証文であり、A23.3.2と一括であった可能性がある。

A23.4は元禄14年(1701)8月の死骸改証文38点紙縒一括である。それぞれ「御書物之事」の表題であり、1点は村方からもう1点は寺院から藩へ差し出されており、村方からの証文に、寺院からの証文が巻き込まれて保管されていた。

A23.5は安政3年(1856)の村方居住改証文である(16点)。差出はすべて別の村だが、宛所は種田勘九郎・芝崎多仲・石井與七郎である。

A23.8「切支丹宗門之者御預帳」(寛文9年〔1797〕)は、1949年ピウス12世にマレガが贈呈し、それが図書館に回されたものである。

使用言語
日本語409件、伊語6件、英語1件、他1件
記述日
2019/12/1
記述者
西村慎太郎
参照用画像