古事類苑>地部十五>近江國>莊保
第 2 巻 1208 頁 画像表示

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八月朔日天正十一 秀吉〈花押〉 久徳左近兵衞尉殿

〔近江國輿地志略  七十四犬上郡〕
河原莊○○○ 順和名抄に甲良の郷あり、甲良かはらと訓ず、今河原の文字に改るにや、園太暦曰、觀應元年、〈南朝正平五年〉石塔中務少輔、爲大將江州高良莊○○○邊所々放火云々、是亦此邊なるべし、高良亦かはらと訓ず、

〔江北記〕
一中郡清水莊○○○總追捕師同山候、前五ケ莊公方闕所ニ成、當方知行有、御代官職被仰付候、

〔近江國輿地志略  八十一坂田郡〕
下坂莊○○○ 下坂中村、濱村、高橋村、戌亥村、以上四村をいふ、

〔江北記〕
文明二年〈庚寅〉當國初亂之事 一右申候秀維、中郡へ罷越とき、住地〈〇住他恐注記誤〉事者同道を放多賀兵衞四郞大成を令同道、下坂莊代官職相抱、彼の莊競望不相果候間、淺井藏人今の備前守親事也、

〔近江國輿地志略  七十七坂田郡〕
小野莊○○○ 此莊は當郡の西南、犬上郡の界にして、湖水の邊なり、所物生むし山村、馬場村、西山村、上櫓村、鳥居本村、西方寺村、百々村、小野村、以上八村を云なり、此莊は古昔後鳥羽院和歌所を置せたまひし時、其領知に附させたまふ和歌所の領、藤三位俊成及定家爲家へも相續の領地なり、

〔近江國輿地志略  八十一坂田郡〕
柏原莊○○○ 伊吹村、大久保村、藤川村、板並村三野村、大清水村、杉澤村、須川村、大野木村、柏原村、梓河内村、長久寺村をいふ、柏原彌三郞領地たりし故に、柏原莊とはいひしなり、

〔吾妻鏡  十六〕
正治二年十二月廿七日己酉、先日上洛、澀谷次郞高重、土肥先次郞惟光等歸著、申云、高重等上洛以前、官軍發向彼柏原彌三郞、住所近江國柏原莊之刻、三尾谷十郞、襲件居所後面山之間、賊徒逐電畢、今兩使雖其行方、依據、歸參云云、

〔吾妻鏡  十〕
文治六年〈〇建久元年〉十月九日庚寅、於駿河國蒲原驛、院宣到來、是近江國田根莊○○○者、按察大納