古事類苑>地部十五>近江國>莊保
第 2 巻 1207 頁 画像表示

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名なし、

〔壬生文書  主殿寮所領文書〕
近江國押立保○○○事、於寮家年貢者、如元可其沙汰之由、被職政〈〇近衞〉候了、可存知之由、被仰下之旨、右大臣殿〈〇洞院公賢〉所候也、仍執達如件、 九月二日建武二年 前丹波守元遠 謹上 大夫史殿〈〇壬生匡遠〉

〔古文書類纂  上觸状〕
順徳天皇承久三年興福寺觸状〈大和春日神社所藏〉 興福寺領近江國犬上莊○○○ 〈本書此處裏判アリ〉 件莊、三升米辨之上、守護人佐々木四郡右衞門尉代敷居莊内責取所當等、兼搦取莊民男女七人、令公一庄之間、有限寺節〈〇節恐家誤〉用途悉闕如了、早可被停止武士之亂入也、委細之旨在別解、 承久三年十二月二十一日

〔近江國輿地志略  七十五犬上郡〕
多賀莊○○○ 順和名抄に田可郷を載す、いまの多賀の莊なり、

〔淡海温故録  三犬上郡〕
多賀 多賀莊十五郷有、此處ヲ當國ノ府中ト云説ハ誤也、當國ノ府中ハ栗田郡守山ナリ、

〔集古文書  十八判物〕
織田信長公御判物〈家臣久徳高矩藏〉 就今度忠節之儀、多賀莊、石灰莊、敏滿寺領諸入□右以三ケ所都合參千石分令支配候、本知新知共、分一諸役一圓、令免許之状如件、 元龜元六月廿六日 信長 判 久徳左近兵衞殿

〔集古文書  十九判物〕
太閤秀吉公御判物〈家臣久徳高矩藏〉 江州犬上郡多賀莊之内以參千石事、目録別紙相副宛行畢、永代全可領知候状如件、