おことわり
●このデータベースは、
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構(National Institute for the Humanities)国文学研究資料館(National Institute of Japanese Literature)文学形成研究系研究プロジェクト「古典形成の基盤としての中世資料の研究」による研究成果の一部です。
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掲載作品解説
【はじめに】
 「歴史人物画像データベース」は、大学共同利用機関法人 人間文化研究機構国文学研究資料館における文学形成研究系のプロジェクト「古典形成の基盤としての中世資料の研究」による研究成果の一部として作成されたものです。
 中世(鎌倉~室町・安土桃山)という時代は、日本文化の祖型が固まりはじめた時代と言われます。そのため、様々な方面に可能性に満ちた百科全書的とも言われるほどの文化現象の発露が認められます。しかし、本当に中世的なものは何だったかということを考えるためには、中世という時代だけにとどまらず、それを受けとめていった後の時代の評価も視野に入れる必要があります。
 そこで、「人物・キャラクター」の継承性を検証するために、前近代における著名な人物は誰かという問題を設定しました。そして、その総体を求めるために、人物に関する情報のデータベース化を進めたものの成果の一部がこの「歴史人物画像データベース」です。
 日本や中国の古典籍には、その人物の生き方や特徴の観点から類似する人物を集成して、叢伝という体裁にまとめたものが少なくありません。とくに近世期以降は、絵画と人物伝がセットになったものが、多く作られるようになりました。今で言えばマンガ・絵本に相当するものです。
 対象読者層は、初等段階の教養にとどまる人々で、低年齢層、女性層、庶民層などが想定されていました。特徴としては、分量的にコンパクトであることで、文字だけで構成された人物叢伝よりも、厳選された、絞り込まれた人物情報が集約されていることが挙げられます。とすると、古今の人物群から取材された典籍で、絵入りのものについて集中的な調査を行うならば、「日本人が知っていた本当に有名な人物は誰か」という指標が示せるのではないかということも考えられるでしょう。
 「歴史人物画像データベース」は、その仮説の検証も兼ねて進められています。
 以下のものは、データベースに搭載したものの中から38作品について作品解説を
おこなったものです。まだまだ覚え書きにとどまる段階ではありますが、今後さらに充実した内容にしていくつもりです。
 
◇岩倉具視公之実伝(いわくらともみこうじつでん)[ヒ4/475]
雑賀豊太朗の編集で、明治16年(1883)刊行された。
 維新の立役者であり、明治政府の元勲(明治維新に功績があり、長く政府の中心的な存在であった人物)、岩倉具視の伝記。
 堀川康親の二男として文政8年(1825)に誕生し、長じて岩倉具慶の養子となり具視を名乗る。孝明天皇近習として政治にも関与し始めた彼は、安政(1858)日米修好通商条約の勅許を願いでた幕府老中堀田正睦の上洛に際し、反対派公家らと共に勅許阻止のため動き、朝廷での頭角をあらわしてゆく。しかし皇女和宮降下を強引なやり方で実現させたことが、幕府に反する尊攘派らの怒りを買うこととなり、孝明天皇の進めもあって京都の北、家領岩倉の地に蟄居。いったんは政治の表舞台から退いたものの、薩摩の急進派と接接近し倒幕・尊皇思想に傾斜していった。
 慶應2年(1866)12月に孝明天皇が崩御し、ついで明治天皇の即位に際して復職を果たす。慶応3年(1867)12月9日、大久保利通らと組んで王政復古の大号令を発し、公武合体派および徳川家勢力を一掃、維新政権の中心人物となる。廃藩置県の断行、明治4年には使節団を率いて米欧を歴訪。また西郷隆盛らの征韓論に反対し、富国強兵政策の実行という近代国家としての日本を作り上げてゆくも、病のため明治16年(1883)、59歳で死去する。以上のような彼の生涯を文語体で記述。
 岡野伊平の序文。挿画には、彼の生涯に印象的なエピソードとである「洛北の謹慎」「戊辰の説諭」、「征韓論の議」、「喰違の遭難」、そして病重くなり、明治天皇自らの見舞いを受ける場面を採っている。
 
◇絵入赤穂四十七士詩伝(えいりあこうしじゅうしちししでん)[ヤ3/46]
明治16年(1883)の刊行。土田泰の著。
 歌舞伎、浄瑠璃等といった近世以降の芸能においてなじみ深い「赤穂浪士」を題にとった作品。大石内蔵助から寺坂吉右衛門までの四十七士達に加え、四十七士に深く所縁ある人物たちの略歴等といった事績面を、漢文体で綴る。それとともに、その人物を讃える七言絶句と絵像を、ほぼ見開き1頁にまとめている。
 
◇英雄百人一首(えいゆうひゃくにんいっしゅ)[ナ2/202]
緑亭川柳(天明7年〔1787〕~安政5年〔1858〕)の撰。出版年によって挿画作者が違っている。天保15年(1844)版・嘉永元年(1848)版は歌川貞秀(文化4年〔1807〕~明治12年〔1879〕頃)。弘化2年(1845)版は松川半山(文化15/文政1年〔1818〕~明治16年〔1883〕)。
神代の素盞鳴尊(『古事記』『日本書紀』等に登場する武勇・和歌・疫病除けを司る神。天照大神の弟とされる)から足利義尚(寛正6年〔1465〕~延徳1年〔1489〕)まで、武勇の名高き人物(神話・伝説上の存在も含む)の歌100首。頁上段には各人の略伝あり。
 
◇絵本威武貴山(えほんいぶきやま)[ヤ8/177/1-3]
勝川春章(旭朗井 勝春章)の画。 三巻三冊で安永七年に刊行される。
 『古事記』の日本武尊、武内宿禰からはじまり、『保元物語』『平治物語』『平家物語』『曽我物語』『太平記』などの軍記物語に登場する英雄・豪傑を、一頁見開きで画と簡潔なエピソードによって紹介。総登場人物は、日本武尊、紀ノ武内宿禰、源義家、安部宗任、安部千世童子、平井保昌、源為朝、源義経、武蔵坊弁慶、遠藤武者盛遠、那須與市資高、畠山重忠、上総悪七兵衛景清、曽我十郎祐成、曽我五郎時到、箱王丸、仁田四郎忠常、隠岐次郎左右衛門、児島三郎高徳、楠正成、本田次郎近経、、阿保忠実、秋山光政、村上彦四郎義光、朝比奈三郎義秀、本間孫四郎、遠山左衛門宗持。なお、掉尾を飾るエピソードは、筑紫国の押領使某の苦境を救う二人の勇士、実は押領使某が好物の大根の精という、完全に架空の人物でありかつパロディ的なもので締めくくられている。
 
◇絵本武者備考(えほんむしゃびこう)[ヤ8/76/1-3]
源折江の撰。挿画は西川祐信。寛延2年(1749)刊行。
 中世~近世期にかけて成立した軍記物語―保元、平治、平家物語、義経記、太平記等―の武勲譚が中心となるが、古くは風土記に初出する両面宿儺(りょうめんすくな)などの伝承も併せて収録している。これら典拠となる軍記物語の登場人物達が活躍する有名な一場面を絵画化し、簡単な説明を詞書として加えている。
 
◇円光大師御一代記(えんこうだいしごいちだいき)[ナ4/484]
刊本(一冊)柳亭種彦の門人、柳々子仙魚による編集。松林堂より出版。挿画の作者は不明。
 浄土宗開祖である円光大師源空(1133-1212)法然房の一代伝記。六系統ある『法然上人絵伝』のうちの「勅修御伝」(鎌倉末期成立)と呼ばれる四十八巻本(京都知恩院と奈良当麻寺奥院に伝存)を基にして作成された。「勅修御伝」知恩院本は、後伏見上皇の勅命によって、比叡山功徳院の舜昌が編纂。詞書は後伏見上皇・後二条天皇・伏見法皇・三条実重・姉小路済氏・世尊寺行尹らが筆を執り、画は宮中絵所に命じて作成されたといわれる。
 「勅修御伝」知恩院本四十八巻における、誕生~出家・修行時代、浄土宗開宗と数々の奇跡を起こす姿、天皇をはじめとした貴紳・高僧の帰依、民衆の帰依と念仏往生の布教、法難と土佐配流・帰洛、そして入寂までのエピソードを、ダイジェスト的に構成。刊末には「一枚起請文」を加える。
 
◇畸人百人一首(きじんひゃくにんいっしゅ)[ナ2/206]
緑亭川柳の撰著。葛飾為斎が挿画を担当。嘉永5年(1852)刊行。
 緑亭川柳の序文に堀川百首(平安期の類聚百首和歌)の影響を受けつつ制作したとある。巻頭口絵の和気清麻呂と彼の事績に次いで、赤穂四十七士の肖像が並べられるという、護国・忠君の思想が全面に現れているといえよう。本編である百人一首の箇所は、天文期の歌人・祠官の渡会常政を巻頭、巻末を狂歌・連歌に長け、書画も能くした大須賀鬼卵で締めくくられている。口絵部同様、本編百首の人選も又、護国・忠君・硬骨漢といった「畸人」という枠組みで為されていることがわかる。
 
◇近世報国百人一首(きんせいほうこくひゃくにんいっしゅ)[ハ2/13]
 絵入刊本。轉々堂藍泉の編。口絵を鮮斎永濯が担当。肖像絵を孟斎芳虎が担当。明治8年(1875)刊行。
 明治維新前夜の、王政復古を目指しながら志半ばに命を落とした勤王志士達に、孝明天皇を加えた、総勢九十九人の辞世の歌などを収録して構成されている。また、序文には、王政復古の先駆ともいえる後醍醐天皇と忠臣達の事績を短いものながら加えている。
 掲載されている代表的な登場人物は以下の通り。孝明天皇、中山忠光、児島草臣、武田耕雲斎、梅田雲濱、頼三樹三郎、月形弘、望東尼、平野國臣、蒲生君平、藤田東湖、高山彦九郎、徳川齊昭、吉田松陰など。
 冒頭を、尊皇攘夷・王政復古の運動において、象徴でありかつその礎的中心人物でもあった孝明天皇の歌とし、末尾にその理論面における指導者であった吉田松陰の歌を配する。
 
◇近世名婦百人撰(きんせいめいふひゃくにんせん)[ハ2/35/1-2]
岡田良策の編集、挿画担当は不明。明治14年(1881)の刊行。
 幕末から明治初期の貞女・烈婦人100人について、上段にその略歴、下段は入集している婦人達の肖像と、自身が詠んだ歌を付す。
 巻頭を昭憲皇太后(明治天皇后)とし、巻末を天璋院(徳川十三代将軍家定の正室)とする形は、貴人で首尾を統括するというある種典型的なものであるが、皇女和宮や明治元勲の妻妾の他に、近藤勇の妾、大塩平八郎の妻、赤子を喰おうとした古狐を退治した女性なども入集している。勤王・明治政府賛美という政治的意図のみではない、説話・巷話性を背景に感じさせるつくりである。
 
◇義烈百人一首(ぎれつひゃくにんいっしゅ)[ナ2/7]
緑亭川柳(天明7年〔1787〕~安政5年〔1858〕)の撰、葛飾北斎(宝暦10年〔1760〕~嘉永2年〔1849〕)らの挿画で嘉永3年(1850)に刊行。
源実朝(建久3年〔1192〕~建保7年〔1219〕)から加藤清正(永禄5年〔1562〕~慶長16年〔1611〕)までの義人と烈女、すなわち朝廷に忠義ある者(武将、公家、僧侶、女性[烈女:「列女」と同義で、忠義・貞節など、儒教的道徳観において称揚されるべき徳を備え世に示した女性のこと])の歌100首。頁上段には各人の略伝を配置。
 
◇現今英名百首(げんこんえいめいひゃくしゅ)[ラ6/38]
沼尻絓一郎の編輯。明治14年(1881)刊行。
 『義烈百人一首』『義烈回天百首』『近世報国百人一首』などと同内容の、明治維新の立役者たちの歌と肖像、および略伝を付した作品。巻頭を三條実美、岩倉具視といった維新の中核となった公卿とし、巻軸には幕府側の中心人物である松平容保、徳川慶喜、島津久光を配置。先に挙げた同内容の「百首もの」に異なるのは、国事に尽力した豪商として高島嘉右衛門(天保3年〔1832〕-大正3年〔1914〕横浜の豪商であると共に、巷間では易占の大家として知られる)、幕末、講武所(幕府の武術鍛錬機関)の教授方であった榊原鍵吉(直心影流剣術の達人)といった、必ずしも有名でない人物たちを入撰させているのがユニーク。
 
◇秀雅百人一首(しゅうがひゃくにんいっしゅ)ナ2/194]
緑亭川柳(天明7年〔1787〕~安政5年〔1858〕)の撰、葛飾北斎(宝暦10年〔1760〕~嘉永2年〔1849〕)等(他に一勇斎国芳、柳川重信、渓斎英泉、一陽斎豊国):画。弘化5年刊行。
祝部清風から中江藤樹(慶長13年〔1608〕~慶安元年〔1648〕)まで百首。頁上の欄には各人についての略伝を掲載。
 
◇神君長篠大合戦(しんくんながしのだいかっせん)[ハ4/33/1-2]
絵入り刊本(二冊)。明治十三年十月刊行。荒川吉五郎による編輯・出版。挿画担当は不明。
 徳川幕府を開き、東照神君と崇められた徳川家康とその配下の武将たちの、長篠合戦での活躍を描く。天正3年(1575)5月、織田信長と徳川家康の連合軍が、甲斐国、武田勝頼の軍を長篠にて撃破した。史実としては、織田・徳川軍の鉄砲隊により武田騎馬軍が敗北したという事が多く語られるが、本書ではやや相違して家康配下の武将達のめざましい武勇譚として描かれている。
 
◇神風遺談(しんぷういだん)[ヤ1/41/1-3]
安政二年刊。菊池寛三郎の著作
 鎌倉幕府は、蒙古(元)皇帝フビライよりの再三の臣従・朝貢の強請をはね除け、ついに文永11年、両国は交戦状態となる。高麗国を先鋒として九州に攻め入る元軍(蒙古軍)。対するのは、北条時宗(鎌倉幕府執権)総指揮の下、九州在地武士団をはじめとした、幕府軍。蒙古襲来とも呼ばれる文永・弘安の役(文永の役…文永11年[1274]/弘安の役…弘安4年[1281])の顛末を、両国交渉の場から合戦を経て、戦後までを描く。竹崎季長の軍功を描いた『蒙古合戦絵詞』の場面の模写の他、フビライ、蒙古の兵士、高麗人の姿(『和漢三才図絵』より模写)などを挿絵にしている。
 
◇前賢故実(ぜんけんこじつ)[ヤ9/86/1-6]
菊池武保(容斎)が編集・挿画の両方を担っている。無刊記だが序文に天保7年(1836)と年記が付されている。
 神代から始まり当代(明治期)にいたるまでの忠臣・賢人・勇士ら500余人を収録した全20巻からなる。1頁に人物の全身画、簡略な人となりを付している体裁。その衣装などは有職故実に則って描かれている。編者にして挿画者である菊池武保は、狩野派絵師の流れをくみながら、古典的絵画技法から西洋的技法までを広く取り入れて、幕末~明治期にかけての東都画壇(江戸-東京における画壇)に新風を吹き込んだ人物である。
 本データベースでは、その一部分から採録されている。
 
◇先哲像伝(せんてつぞうでん)[ヤ1/142/1-4]
原義胤の編著。挿画担当は不明。弘化1年(1844)刊行。
 藤原惺窩(永禄4年(1561)~元和5年(1619))を筆頭に宇佐美 水(宝永7年(1710)~安永5年(1776))まで、近世期に活躍した儒学者達20人の肖像と行跡、系図および筆跡も収録する。
 
◇続英雄百人一首(ぞくえいゆうひゃくにんいっしゅ)[ナ2/203]
緑亭川柳(天明7年〔1787〕~安政5年〔1858〕)の撰、玉蘭斎貞秀(文化4年〔1807〕~明治12年〔1879〕頃)等の画。天保15年刊行。
先に刊行された『英雄百人一首』の拾遺編。源頼義(永延2年〔988〕~承保2年〔1075〕)から伊達政宗(永禄10年〔1567〕~寛永13年〔1636〕)まで100人。上欄には略伝。
 
◇大日本国開闢由来記(だいにほんこくかいびゃくゆらいき)[ナ4/71/1-7]
平野重誠の撰、挿画は伊草孫三郎国芳(歌川国芳)。萬延1年(1860)の刊
 ニニギ尊・大国主神から聖徳太子・北条時宗まで、記紀(『古事記』と『日本書紀』)に登場する神々や英雄・賢人たちのエピソードを中心に、日本国が形成されてゆく神話的物語が展開される。首巻は主な登場人物の紹介として1ページに一人の割合で登場する神や人の画を並べる。
天孫降臨を端緒として、神武東征、日本武尊の諸国平定、蒙古襲来といった武勲譚に多く紙幅を割いているところが特徴的。
 
◇徳川十五代記(とくがわじゅうごだいき)[ヤ4/83/1-2]
和田定節の編集。石塚寧齋による画。明治8年(1875)に刊行。
 徳川幕府における、初代から最後の十五代までの征夷大将軍の事績と肖像画。初代家康のみ胸像画であり、第二代秀忠以下第十五代慶喜まで全身画となっている。将軍達各々の事績・特徴を捉えた描写となっているところが興味深い。(歌舞伎等でよく演じられる赤穂浪士物にも関わりある第五代綱吉は、役者絵的な立ち姿であり、犬を連れている、等々)
 
◇徳川東国武勇伝(とくがわとうごくぶゆうでん)[ハ4/82/1-6]
6冊本。橋本玉蘭斎の編輯、五雲亭貞修の挿画。無刊記
徳川家股肱の臣である本多忠勝、井伊直政という二人の武将を軸に、姉川、三方ヶ原、長篠、長久手、関ヶ原で繰り広げられた合戦(主君徳川家康が関東に移封される以前を含めて)での家臣団の活躍を描く。内外題を『徳川東国武勇伝』としているが、徳川家臣団の反勢力である武将たちの活躍も盛り込んでいる。
 
◇俳人百家撰(はいじんひゃっかせん)[ナ3/66]
緑亭川柳(川柳五世)の編輯、雄斎国輝(歌川国輝一世)の挿画。嘉永8年(1855)刊。
俳諧連歌の創始者と尊崇される荒木田守武(文明5年[1473]~天文18年[1549])を巻頭句に配し、巻軸句に大嶋蓼太(享保3年[1718]~天明7年[1787])までを据えて当代の俳人100人を選んでいる。頭注には各人の略伝が配される。
 
◇八幡太郎一代記(はちまんたろういちだいき)[ナ4/473]
絵入刊本。明治26年(1893)刊行。東京本所区横網町 鎌田在明が著作・印刷・発行を行った。画の担当は不明。
 鎮守府将軍源頼義の嫡男で、前九年の役・後三年の役の英雄、源義家(八幡太郎)の活躍を描く。物語全体の主眼は、前九年の役における、武勇・知略そして風雅を解する武人としての義家を、『今昔物語』『宇治拾遺物語』などに見られる義家英雄譚に典拠に描写している。末尾には、概略ながら後三年の役での義家の活躍と、その威光が子孫である頼朝・新田家・足利家、徳川家まで続いていることを述べている。
 
◇百人一首図絵(ひゃくにんいっしゅずえ)[タ2/208/1-3]
田山敬儀の編纂。挿画作者未詳。文化4(1807)版(初刊)と文政5年(1822)版がある。
従来の『小倉百人一首』に、図絵・注釈などを加えた作品。
 
◇武家百人一首(ぶけひゃくにんいっしゅ)[ナ2/212]
賞月堂主人の撰、玉蘭斎貞秀[歌川貞秀](文化4年〔1807〕~明治12年〔1879〕頃)
の画。万治3年の跋文あるも詳細な刊行年は不明。
源(六孫王)経基(生年未詳〔9世紀末頃か〕~天徳5年〔961〕)から足利義尚(寛正6年〔1465〕~延徳1年〔1489〕)まで。各人の略伝を頭注に置く体裁。
 
◇武勇魁図会(ぶゆうさきがけずえ)[ナ4/148/1-2]
撰者未詳、渓斎英泉の画で弘化年間に刊行された。初編と第二編の二部構成で、頁の体裁としては見開きで2~3人の人物を載せる形をとる。
日本の文学作品(神話・伝説から物語まで)の中で武勇・戦闘に関する挿話を持つ人物達、
神代の神功皇后、武内宿彌から『太平記』に登場する篠塚伊賀守重広はおろか、八犬士までも載せ、彼らの武勇譚を示す挿画と、またその場面に関する簡単な説明を添える。
 
◇豊臣昇雲録(ほうしんしょううんろく)[ハ4/26/1-4]
四冊。版元は松林堂。弄月閑人の編。画は孟齋芳虎。
 太閤豊臣秀吉の一代記。尾張国(現在の愛知県)中村の農家に生まれた日吉丸が、織田信長の下に付き、様々な辛苦に耐えながら出世を重ね、ついに関白になるまでを描く。秀吉出世の物語を主軸とし、彼に関わる信長や旗下の武将たち(前田利家、柴田勝家等々)、また後半では秀吉配下の武将(加藤清正ら賤ヶ岳七本鎗)の活躍もあわせて語られる。
 
◇本朝孝子伝(ほんちょうこうしでん)[ヤ1/100/1-3]
藤井懶斎の撰。貞享3年(1686)刊。
 「孝」(子の親に対する思いやり)という思想の啓蒙を目的とする面を持っている。天皇から始まり、公卿・武家・庶民に至るまで、日本における親孝行の物語=孝子譚を、先行する古典籍類から材をとって撰集したもの。
 人物名とその孝行譚を冒頭に挙げ、次に四六駢儷体の「賛」が付属し、最後に「論」として撰者がその項目で対象となった人物への論評を述べる体裁をとっている。また、末尾に挿絵を付す。
 
◇本朝百将伝(ほんちょうひゃくしょうでん)[ヤ1/17]
撰者、挿画作成者ともに未詳。明暦2年(1656)刊行。
道臣命(『古事記』『日本書紀』に登場する神武天皇の臣下)から豊臣秀吉(天文6年〔1537 〕~慶長3年〔1598〕)まで。日本歴史上で武勇の誉れ高く、また朝廷に忠義を尽くした武人達の歌100首。頁上段には各人の略伝あり。
 
◇本朝列仙伝(ほんちょうれっせんでん)[ヤ1/139/1-4]
貞享3年(1686)の刊行、田中玄順の編集
 院政期、大江匡房の手により編纂された『本朝神仙伝』に登場する神仙たちと、重複するさせつつ、編者田中玄順独自(『本朝列仙伝』独自と言い換えてもよい)の人物選定が成されている。『本朝神仙伝』に比べ、俗体の仙人が多いか。山背大兄王子、柿本人丸、小野篁、在原業平などを、仙人としているのが特徴的。
 本書の構成は次のようになる。巻一~三までを、日本に現れた仙人の事跡。巻四には、「日本ニ蓬莱トイヘル所三ツアリ。一ニハ紀州熊野。二ニハ駿河富士。三ニハ尾張ノ熱田、是ナリ」として、 「日本蓬莱山」と小題を設けて、日本国における仙界の説明を加えている。また、巻末には「本朝列仙伝不審問答」として、神仙に関するあれこれを、問答体で解説している。問いの概略は以下の七つに集約されよう。1)仙人の長命であることの益、2)仙道の起こりと内実、3)仙人の飛行や雲に乗る事について、4)仙人も死すべき者であるのか、5)史実上の人物で、その死去が記されている者までを仙人とするのはなぜか、6)好色の者、色に迷う者が仙人になれたのはなぜか、7)天竺・唐の人物までも本書に載せている事。
 
◇宮本武勇伝(みやもとぶゆうでん)[ナ4/472]
絵入刊本で全一冊。明治24年(1891)刊行。著作・印刷は、日本橋区若松町 尾関トヨによる。画の担当は不明。
 江戸初期の剣豪宮本武蔵の武勇伝である。これまでの講談などで知られる、剣豪武蔵の修行と決闘を描くものとは異なる展開。
 従来、武蔵武勇譚にはあまり見られない、天狗・大蛇などの怪物・猛獣との決闘場面が加えられ、荒唐無稽な冒険活劇の面がある。また、好敵手である佐々木巌流が親の敵に設定されており、全編を通じて仇討物語の色合いが付加されているのが特徴的。
 
◇明治中興雲臺図録(めいじちゅうこううんだいずろく)[ヤ8/163]
明治9年(1876)刊行。編集・画ともに田島象二
 書中の凡例によると、題名の雲臺図録とは中国後漢朝に、朝廷に忠義を尽くした臣下を南宮雲臺という場所に描いた故事にちなんで付けたとのことである。本書では、明治政府樹立の立役者となった公卿、志士、三条西実美、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛、有栖川宮熾仁親王、大木喬任、大隈重信、伊藤博文、寺島宗則、山県有朋、黒田清隆、伏見宮嘉彰親王、西郷従道、板垣退助、由利公正、後藤象二郎、島津久光、副島種臣、小松清廉、鍋島直正、大村益次郎、横井平四郎、伊知地正治、江藤新平、勝海舟、廣澤真臣の総勢27名の姿に略伝と、自作の漢詩あるいは和歌を見開きで記す。
 冒頭には番外的な人物ながら明治維新・政府樹立の象徴となった孝明天皇、明治天皇の略伝・和歌を掲載。
 
◇明治英銘百詠撰(めいじえいめいひゃくえいせん)[ハ2/34]
篠田仙果の編集、生田芳春が挿画を担当。明治12年(1879)刊行。
 明治天皇を筆頭に、明治維新に活躍した公卿、士族を中心とした撰集姿勢だが、西南戦争で政府と対立し、賊軍と呼ばれた西郷隆盛、桐野利秋らも含まれており、単純に明治政府顕彰に留まらない内容となっており興味深い。多くの百人一首もの(百撰もの)と同様に上段に略歴、下段に和歌を付した人物画という構成がとられる。
 
◇役者三十六家選(やくしゃさんじゅうろっかせん)[ヤ4/205]
『役者三十六歌仙』とも。中村福助(百文舎外笑)の撰。享保十六年(1756)版がある(国文学研究資料館所蔵本は無刊記)。和歌の三十六歌仙に見立てた体裁で、江戸中期に活躍した歌舞伎役者の内、三十六人を撰び掲げた役者評判記。中村歌右衛門から始まり、市村羽左衛門でしめくくる。一頁上部四分の一を、役者の経歴・業績の記述として充て、残りを当たり役の姿で描くとともに、寸評的狂歌を併せ載せる構成。
 
◇利運談(りうんだん)[ヤ5/23/1-4]
刊本(四巻四冊)八隅中立(やすみちゅうりつ)[八隅景山]の撰述。文化13年(1816)の刊行。
 古今東西(具体的には日本と中国)の歴史上、才学・武勇・機知・技芸によって名を残した人物のエピソードを、巻一「利運之大意」「利運之基」、巻二「王臣之利運」「武将之利運」、巻三「僧徒之利運」「霊仏之利運」、巻四「芸能技術之利運」「堪忍之利運」「愛敬之利運」「移香之利運」という巻立で分類し、列挙している。もともと「利運」とは、物事の道理に適うという意味。巻一「利運之大意」では、そこから、才能が天地陰陽の利に適っていることで、後世に名を残す偉業を成すことが出来たのだとしている。啓蒙・訓戒をその主眼においた書物である。
 
◇列女百人一首(れつじょひゃくにんいっしゅ)[ナ2/205]
 緑亭川柳(天明7年〔1787〕~安政5年〔1858〕)の撰、葛飾卍老人[葛飾北斎一世](宝暦10年〔1760〕~嘉永2年〔1849〕)・一陽斎豊国[歌川豊国三世](天明6年〔1786〕~元治1年〔1864〕)ら画。弘化4年刊行。「列女」は「烈女」と同義で、忠義・貞節など、儒教的道徳観において称揚されるべき徳を備え世に示した女性のこと。そうした美質に加え、歌才を兼備した女性として、丹後局[高階栄子](生年未詳~建保4年〔1216〕)から中将姫(伝説上の人物とされているが、『当麻寺縁起』『古今著聞集』などに聖武天皇在位時代、藤原豊成の娘として生まれたと伝えられている。敬虔な仏教信仰者)までの、歴史や伝説において活躍した女性たちを選び、彼女たちが詠んだ歌(あるいは詠んだと伝えられる歌)で百首を構成する。各人の略伝を頭注に置く。
 
◇若鶴百人一首(わかつるひゃくにんいっしゅ)ヤ5/196]
編纂者、挿画作成者未詳。弘化3年(1846)版と安政3年(1856)版、文久3年(1863)版等あり。従来の『小倉百人一首』に、図絵・注釈などを加えた作品。女訓物と合冊という体裁で、女子への教育を目的として作られた。
 
◇和洋奇人伝(わようきじんでん)[ヤ3/29]
条野孝茂(天保3年〔1832〕~明治34年〔1901〕)の著。明治5年(1872)に刊行。
 近世中~末期に活躍した西洋諸国と日本の政治家・学者達を、洋・和の順で挙げる。肖像と略歴。労爾徳伯路寒(ロルド・ブルーハム)、熊沢蕃山から始まり、掉尾を佐久間象山で飾る。人物採択は、『西国立志編』と重なり、日本側の学者たちは、国学者が主となる傾向にある。