古事類苑>地部二十七>安藝國>郡>佐伯郡>佐東郡
第 3 巻 660 頁 画像表示

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并ル程ニ候キ、

佐伯郡/佐東郡/佐西郡
〔藝藩通志  五十一安藝〕
佐伯郡 疆域形勢〈風氣沿革附〉 佐伯郡は國の西邊にありて、今の藩府廣島の西郊より即其地なり、〈◯中略〉廣八里東は己斐村より西は中道村に至る、袤八里半、南は大竹村より北は麥谷村に至る、四隣東は府市、西は周防玖賀郡、石見美濃郡、南は海を隔て、伊豫風早郡に對し、北は山縣沼田二郡なり、廿日市を以郡本とす、〈◯中略〉按に當郡、上古は、今の沼田郡、及府域の地を併せて佐伯一郡たり、中古東邊の數郷をわかちて佐東郡○○○とし、其餘を佐西郡○○○とせらる、近古佐東を沼田として、佐西のみを佐伯郡とせられしかば、當郡上古の地その首領を失へり、姑く今制にしたがひて私に改めず、

〔日本後紀  二十一嵯峨〕
弘仁二年七月己酉、安藝國佐伯郡速谷神、伊都岐島神、並預名神例、兼四時幣

〔東寺百合古文書  百八十一〕
東寺雜掌申、安藝國衙領内佐東郡○○○東原郷安南郡新勅旨田杣村緑井郷八木村温科等事申状具書如此、武田治部少輔、同遠江守、品河近江入道、香河修理亮、大藏少輔、金子大炊介以下輩押領云々、〈◯中略〉 康平元年十一月廿五日 左衞門佐〈御判〉 森宮内少輔殿

〔嚴島文書〕
謹辭解申讓進平行益私領田畠等事 合貳拾肆町、〈◯中略〉在佐東郡内八木村者、〈◯中略〉 仁平二年三月八日 平〈花押〉

〔嚴島文書〕
讓渡 いつくしまの御神りやうの内さんとうのこうり○○○○○○○○みどろいのがうの内のりすへ名事合一所者〈◯中略〉 ぢやうわ二年八月十三日 左衞門尉重直〈花押〉