古事類苑>地部二十七>安藝國>地勢
第 3 巻 648 頁 画像表示

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〔安西軍策  一〕
大内藝州銀山櫻尾圍兩城事 大永四年五月二十日、大内義興息周防介義隆、防長豐筑ノ勢三萬餘騎ヲ率、周防ニ打出、岩國永興寺ニ著陣シ、兹ニテ二手ニ分、〈◯中略〉一方ハ義興自大將トシテ、一萬餘騎、草津二保島○○○ノ城ヲ攻落、ソレヨリ櫻尾神主ガ城ニ寄テ攻戰フ、

〔安西軍策  二〕
三浦越中仁保島合戰事 同年〈◯弘治元年〉陶入道全薑、防長豐筑ノ勢ヲ催シ、先嚴島仁保廿日市邊ノ城ノ様體爲見計トテ、三浦越中守ニ究竟ノ兵四五百騎相添、舟數艘ニテ差遣ス、草津廿日市ノ沖ヲ漕廻、仁保ノ島ヘ漕寄上リケリ、

〔道ゆきぶり〕
備後の尾道より安藝國ぬたといふ所にうつり侍る、道は南東へ出たる山あり、ひがたをへだてたり、いぬゐにそひていそ路はるかにゆくに、吉和といふ所あり、〈◯中略〉其海中に木ぶかき小島二ならびたり、是なんくぢら島○○○○といふなり、年ごとのしはすに、くぢらといふうを多くよりきつヽ、又のとしのむ月に又かへり侍るとなん、是はこヽにいます神の誓にてかく侍ると、海人どもの申也、其より猶南に大海に出るさかひをば、めかりの浦とぞいふなる、〈◯歌略〉北より南にさし出たる山さきに、松や檜原しげりて、いとおもしろきおのへあり、いとさきとぞいふ、〈◯歌略〉むかひにひがたをへだてたる山を、ゐんの島○○○○といふ也、

地勢
〔藝備國郡志  上安藝形勝〕
地勢廣濶、風氣和暖、二川交流、夾環州治、田宅豐饒、四民安逸、

〔藝藩通志  一安藝〕
疆域形勢 およそ山陽の國勢は、皆山に背き海に向ふ、當國も亦しかり、長山うしろに横りて、山陰道を隔、海水前に繞りて南海道に接す、大抵北は高く、南は低し、氣候南北同じからざれど、多くは和暄なり、田地山間に在、狹くして美からず、北境は民戸稀少にて鐵を採て生理を助く、南方は民戸稠密山