古事類苑>地部十八>上野國>名稱
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地部十八
上野國
上野國ハ、カウヅケノクニト云ヒ、舊クハ、カミツケヌノクニト云フ、東山道ニ在リ、東ハ下野、西ハ信濃、南ハ武藏、北ハ越後、岩代ニ界シ、東西凡ソ二十三里、南北凡ソ二十五里、其地勢ハ山野殆ド相半シ、田野概シテ開ケタリ、此國ハ古ヘ國府ヲ群馬郡ニ置キ、碓氷ウスヒ片岡カタヲカ甘樂カムラ多胡タコ緑野ミドノ那波ナハ群馬クルマ吾妻アガツマ利根トネ勢多セタ佐位サヰ新田ニフタ山田ヤマダ邑樂オハラギノ十四郡ヲ管シ、延喜ノ制、大國ニ列ス、明治維新ノ後、屢【G々】廢合ヲ行ヒテ、勢多、群馬、多野、北甘樂、碓氷、吾妻、利根、山田、新田、邑樂、佐波ノ十一郡ト爲シ、新ニ前橋、高崎ノ二市ヲ設ケ、群馬縣ヲシテ之ヲ治セシム、
名稱
〔倭名類聚抄  五國郡〕
上野〈加三豆介乃〉

〔倭訓栞  前編六加〕
かうづけ 上野をいふ、上津毛野の略也、

〔日本風土記  一寄語島名〕
上野〈庚子計コヲヅケ

〔古事記傳  二十三〕
上毛野カミツケヌは、和名抄に上野〈加三豆介乃〉國とある是なり、〈毛字を省きて上野と書クは二字につゞめ書例ぞ、齊明紀には、上毛野國とあり、又後世野を略きて、かみつけとのみ云は訛なり、又其をかうづけと云は、美を音便にウと云、又音便のウンの下は多く濁る例にて、ツをも濁りて呼なり、〉萬葉十四、上野國歌に、可美都氣努カミツケヌ、又可美都氣野カミツケヌなどよめり、〈又一可美都氣乃ともある、乃字は、奴の誤なるべし、和名抄などのころにこそ、野をば、もはら乃と云つれ、古には然ることなく、又野を省きて、加美都氣と云ることも無ければ、辭の乃にも非ればなり、凡そ此國名をよめる歌、十二首ある中に、乃と云るは只一にて、餘はみな奴なるをや、〉名義未思得ず、毛は草木を云か、木を氣と云ることもあり、〈顯昭古今注に、坂東は足柄の關より東いと山なども侍らず、みなはるかなる野な〉