古事類苑>地部九>駿河國>道路
第 2 巻 608 頁 画像表示

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ノ時、伊豆ニ屬シ、延喜ノ後、復駿河ニ屬シ、北條氏割取シテ伊豆トシ、駿河亞相駿城ニ在ス時、庖廚ダイドコロ料トシテ、復駿河トナルと見ゆ、

地勢
〔易林本節用集  下〕
駿河〈駿州〉上、管七郡、東西二日半、山原野里、皆均等也、抱海帶山、肥産多、大中國也、

〔駿河國新風土記  一〕
駿河 河野通世撰述 此國、東西を經とし、南北を緯とす、經凡二十二里餘、緯凡二十里餘より七八里に至る、山川田野程よく相錯れり、驛路に三つの峻嶺あり、宇津谷坂薩埵坂、七難坂なり、三の大河あり、大河川、阿倍川、富士川なり、是皆天然の要障なり、國形は東西長うして南北短く、前後廣うして中狹く、千木の如く、また鼓に似れり、西北に高山を負ひ、東南に大洋を抱たるが故に、國中おのづから暖和にして、雪ふれども積らず、氷ぬれども厚からず、是以百穀善熟り、菓菰早就、されば國富物豐にして、俗文華を好む、延喜式此國を上國の列に入れ、風土記定穀上之上とす、宜なるかな、さて限るに山を以てし、横に最を截ば、遠江の國界より宇津の山に至る凡五里を第一截とす、宇津の山より薩埵山に至る凡六里を第二截とす、薩埵山より七難坂に至る凡四里を第三截とす、七難坂より伊豆國の界に至る凡七里餘第四截とす、限るに川を以てすれば、大井川より阿倍川に至る七里を第一截とす、阿倍川より富士川に至る凡八里餘を第二截とす、富士川より伊豆の國の界に至る凡七里餘を第三截とす、かく山と川と點綴して、たとへば一匹錦の花紋列なるが如し、これ自然の形勢なり又縱に是を分ちて三路とす、山中を上の一路とす、其民良材を伐て桴を下し、茶を製し、紙を製し、藥草を採などを業とす、官道を中の一路とす、逆旅亭、茶店、酒肆相連り、逆旅亭長、〈俗云本陣〉驛長、〈俗云問屋〉驛老〈俗云年寄〉あり、貧しきものは驛馬を驅せ、行客の裝を荷ふをもて業とす、海濱を下の一路とす、魚鹽の利夥しく、しかのみならず通船運漕、天下の諸國を比隣の如くするの便あり、農は此三路の間に充滿して耕耘を勤む、是民産業をなすの大略なり、