古事類苑>歳時部十九>節分>儺豆
第 1 巻 1390 頁 画像表示

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は外と一聲三度づヽまく、公方様御年の數に一粒増し、大豆を三方に載せ差上る、則御祝被遊、相濟て右の大豆を三方にのせ、詰合の面々〈江〉被下之、

〔日本歳時記  七十二月〕
晦日〈又除夜といふ◯中略〉俗に隨て今宵儺豆をうつべし、〈儺豆をうつ事、節分の夜する人侍れど、禁中の追儺も十二月晦日のよし、ふみに見え侍る、又もろこしにも金吾除夜進儺名とあれば、今宵その事をなすべし、〉

〔歳時故實大概  十二月〕
一節分〈立春の節の前日なり〉 今宵門戸に鰯のかしらと柊の枝を插て、邪氣を防ぐの表事とし、又炒大豆を升の器に入て、夫を暗に打はやして祝ひ賀す、〈◯中略〉 按に、今宵大豆をまくは、古人追儺の遺風なり、其追儺と云は除夜の儀にて、〈俗には大歳といえり〉節分の夜の事にはあらず、されども俗習都鄙共に、今宵此大豆まく事を營み祝へば是又俗に隨ひて爰に記すなり、

〔改正月令博物筌  十二月〕
節分〈按ずるに、節分の夜する儀式、鬼やらひ、はやし豆、ひいらぎ、寶舟、厄拂の事まで、昔は晦日にて有たれども、晦日の夜は、來る年のまふけに事しげきゆへ、中世より右等の事を節分の夜なすとぞ、尚委しきわけは、年中風俗考に出たり、面白き事也、見るべし、〉 豆打〈爆豆、撒豆、福は内、鬼は外、禁中にも熬豆を撒して、疫鬼をはらはせらるヽ事、宇多天皇のときより始る、民家にも豆をうちて、福は内、鬼は外と囃すなり、豆をうつものは、來る年の支に當る者つとむ、是を年男といふ、又豆を打事は、魔目を打といふ義也、〈風俗考に出〉唐土にも今夜赤丸と五穀をまく事、後漢書の註に出たり、赤丸とは、あづきの事也、〉

〔秇苑日渉  七〕
民間歳節下 立春前一日謂之節分、至夕家々燃燈如除夜、炒黄豆神佛祖先、向歳徳方位、撒豆以迎福、又背歳徳方位、撒豆以逐鬼、謂之儺豆、老幼男女啖豆如歳數、加以一、謂之年豆

〔隨意録  四〕
方俗立春前夕、貴賤家々放擲熬豆、號呼曰鬼外福内、此未乎何時、蓋是原乎儺者也、禮季冬儺於國中、儺逐疫鬼也、論語所謂郷人儺是也、漢世謂之逐除、荊楚歳時記云、十二月、村人並擊細腰鼔、戴胡頭、及作金剛力士以逐疫、然擲熬豆者、未之有一レ稽、正月旦呑熬麻子大麻、則歳時記有之、亦是辟瘟疫氣

〔東都歳事記  四十二月〕
節分、〈立春の前日也〉今夜尊卑の家にて熬豆を散、大戟ヒヽラギ、鰯の頭を戸外に插す、〈豆をまく男を年おとこといふ、今夜の豆を貯へて、初雷の日、合家是を服してまじなひとす、又今夜いり豆を己が年の員に一ツ多く數へて是を服す、世俗今夜を年越といふ、〉