古事類苑>歳時部十九>追儺>追儺式(附圖)
第 1 巻 1369 頁 画像表示

20頁後へ次のページへ   前のページへ20頁前へ
〈の疫氣をはらふ義也、此事の始て行はれしは、文武天皇慶雲三年十二月より也、或は元年よりとも、二年よりともいふ説あれど、正しからず、〉難〈周禮、禮記月令集説、按に義上におなじ、禮記月令の注に、難與儺通とみえたり、〉儺〈續日本紀、延喜式、内裏式、論語、後漢書、荊楚歳時記、南部新書、玉燭寶典、按に、先臘一日大儺、謂之逐疫と、後漢書禮儀志にみえたり、又儺人は厲鬼を逐もの也、いはゆる儺人所以逐厲鬼也と、禮記にみえたり、〉なやらふ〈延喜式、小野宮年中行事、源氏物語、江家次第、河海抄、按に、河海抄に、儺を追事なり、鬼やらひといふ、追の字をやらふとよむなりとみゆ、〉追儺〈延喜式、小野宮年中行事、榮花物語、雲圖抄、濫觴抄、按に、古へついなとも、なやらふとも云り、其證は、源氏物語紅葉の賀に、なやらふとて、いぬきがこれをこぼち侍にとみえ、榮花物語月の宴に、つごもりのついなに、殿上人ふりつヾみしてまいらせたればとあれば、其頃ついなとも、なやらふともいはれしことしられたり、〉おにやらひ〈年中行事秘抄、河海抄、建武年中行事、公事根源、按に、河海抄に、儺を追事なり、鬼やらひといふ、追の字やらふとよむ也、又儺の一字を鬼やらひと讀なりとみえ、又行事秘抄に、金谷を引て云、陰陽の氣相激、化爲疾癘之鬼、爲人家病とあれば、此疫鬼をはらふを鬼やらひとはいへり、又後漢書禮儀志にも、惡鬼を禁中に逐ふとあるもこの義なり、〉行儺〈月令廣義引呂覽、按に、行儺といふも、追儺といふに義同じ、行字やるといふ意あれば、やらふといふ義にて行儺と名付たり、〉害除〈同上、按に、同書に、驅疫癘之鬼、謂之害除とみえたれば、是も義上におなじ、〉逐除〈同上、同書に、行儺、今所謂逐除也とみえたれば義明なり、〉逐疫〈後漢書禮義志、同書に、先臘一日大儺、謂之逐疫とあれば、儺の別名なること明かなり、〉

〔源氏物語  七紅葉賀〕
いつしかひゐなをしすへて、そヽぎ給へり、三尺のみづしひとよろひに、しなじなしつらひすゑて、又ちひさきや共つくりあつめて奉給へるを、所せきまであそびひろげ給へり、なやらふ○○○○とて、いぬきがこれをこぼち侍にければ、つくろひはべるぞとて、いとだいじとおぼいたり、

〔河海抄  四紅葉賀〕
なやらふとて追儺〈十二月晦日〉 除夜に儺を追ふ事なり、鬼やらひといふ、追の字をやらふとよむなり、又儺の一字をも鬼やらひとよむ也、始禁中何家之、

〔源氏物語  四十一幻〕
年暮ぬとおぼすも心ぼそきに、わか宮のなやらはん○○○○○に、音たかヽるべきこと、なにわざをせさせんと走りありき給も、おかしき御ありさまをみざらんことヽ、よろづにしのびがたし、

追儺式
〔内裏式  中〕
十二月大儺式晦日夜、諸衞依時刻、勒所部諸門、近仗陣階下、近衞將曹各一人率近衞〈左近衞五人、右近衞四人、〉開承明門、先共