古事類苑>歳時部十三>年始雜載>二十日正月
第 1 巻 944 頁 画像表示

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風流如形也、次舟津參同前、〈石井三木村不參〉各給捶如例、 十八日、松拍參風流、自前々超過有其興、◯按ズルニ、昨年十月、後小松天皇崩御シタマヒシヲ以テ、十八日ノ爆竹ヲバ擧行セザリシナラン、尚ホ次下引ク所ノ宣胤卿記ヲ參看スベシ、

〔宣胤卿記〕
長享三年〈◯延徳元年〉正月十八日丁丑、今日禁裏三毬打停止○○、依諒闇〈◯去年三月、後花園后藤原信子崩、〉也、〈◯中略〉十五日小三毬打如例云々、今日三毬打諒陰中有否事、舊冬被尋下、永享度停止〈十五日小三毬有之〉由申入了、

〔二水記〕
大永七年正月十五日、秉燭之程參内、御盃儀如恒、〈◯中略〉於清凉殿小三毬打如例年、但依諒闇〈◯去年四月後柏原崩〉不聲也、 十八日、今日三毬打無之、依諒闇也、

〔享保集成絲綸録  二十六〕
元祿二巳年正月    覺一跡々如相觸候、町中ニ而左儀長焚候儀、堅無用ニ可仕候、并かざり道具、屋敷之内、又は往還之道にて燒申間敷候、但船に積捨候共、埃捨場へ捨可申候、又は薪に致し候共、可勝手次第、附火之元之儀彌念入可申事、

二十日正月
〔和漢三才圖會  四時候〕
廿日正月 陳眉公秘笈云、池湯以正月二十日天穿、以紅縷餅餌、擲之屋上、謂之補天、 按、京都俗、正月廿日、毎家食赤豆餅餌、蓋小豆赤色以准紅縷乎、但不天祭口而已、其他幾内民俗、此日糯糏和赤小豆之爲強飯之、其品異而趣一也、以此日廿日正月嘉祝、

〔日次紀事  一正月〕
二十日 團子〈今日地下人諸人各遊樂、謂二十日正月、食團子是稱二十日團子、〉

〔日本歳時記  二正月〕
廿日、今日女人の鏡臺の祝とて、それに供たりし鏡餻を煮食ふ事あり、これ武士の鎧の餻をいはふとひとしき事なり、廿日をもちゆるは、廿日をいはふと、初顏祝と詞おなじきゆへに、これを縁にとれるよし、他にいひならはせり、

〔東都歳事記  一正月〕
廿日 商家愛比壽講〈◯中略〉 今日太神樂來る 貴賤廿日正月とて、雜煮餅を食