古事類苑>歳時部十三>年始雜載>十五日粥
第 1 巻 924 頁 画像表示

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トバナラン、枕艸子、狹衣ナドニモ書レタル事ニテ、大内ニモ昔ヨリ有來タル事ヲ、民ノ上ニモ習フテ、童ノ戲ニモスル事ナランカシ、

〔諸國圖會年中行事大成  一正月〕
十五日粥杖〈又粥木とも〉 今日粥杖とて松枝柴などにて、女の腰を打なり、〈◯中略〉信濃、飛騨、三河等の國には、染樛木をもつて、其長サ一尺二寸許に切、上下より削かけて、先の方に左に卷、柳櫻の花の如き物を紙にて造り粘て、松煙をもつて燻べ、其花の形を取除れば、其摸様白く木に殘る、是を御祝棒と號け、新婦ある家毎に入て、新婦の腰を打、兒童の戲なり、又今朝茶竹の五六尺計なるを、半まで五ツ六ツに割かけて、染樛木の枝二三寸廻りなるを、長五六寸に切、件の割たる竹の先にさし、家毎に門口の軒端に、二本充これを指す、是をほんだるといふ、是豐年の祝ひ、穗垂の祝儀とす、京師近郷は、此頃兒童の戲れに、橙を絲にてくヽり、通行の婦人の腰を打、皆粥木の遺風なり、

〔用捨箱  上〕
粥の木 折かけ燈籠 昔の質素をうしなはず、今に古風を存するは、正月の式と、七月の魂祭りなり、それさへいつの程にか絶、江戸に近き田舍には殘りし事あり、其一ツ二ツを記す、向の岡〈不卜撰延寶八年印本〉 粥木 かゆの木や女夫の箸の二柱 才丸撰者不卜は江戸の人なり、才丸は難波の産ながら、若きほどより江戸にあり、されば延寶の頃までは、粥木といふ事江戸にありし故、句にも作り、集にもいれしならんが、今はさる名だに聞ず、江戸近き田舍には猶在、所々にてすこしづヽ異なり、此句によく合するは、越谷の東大川戸村〈江戸より八里程〉の土人の話なり、彼あたりにては、正月十五日に、楊櫨を長き箸程に二本きり、頭のかたを削かけのやうに作り、鍋の粥の煎たちしとき、その頭をさしこみ、すぐに引あげ打返して、門の兩脇へ一本づヽさすなりと、才丸の句是なり、粥杖を粥の木といふとは異なり、

〔枕草子  一〕
十五日〈◯正月〉は、もちがゆのせくまいる、かゆの木ひきかくして、家のごだち女房などの