古事類苑>歳時部十三>年始雜載>七日>七種粥
第 1 巻 906 頁 画像表示

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〔古今要覽稿  時令〕
七種菜〈なヽくさ〉 七種の若菜を以て、これを正月七日禁中に奉りしは、醍醐天皇の延喜十一年を始とす、〈公事根源〉それより以前、宇多天皇の寛平二年正月上の子日、内藏寮より若菜を奉りし事ありと〈同上〉いへども、七種を薺、蘩00000001b6a7.gif、芹、菁、御形、酒々代、佛座に定められしは、四辻左大臣を始とす、〈河海抄には縷を蔞に作り、酒々代を須々之呂に作られたり、〉一説に七種は芹、なづな、御形、田平子、佛の座、あしな、耳なし也と〈壒嚢鈔〉いひ、或は芹、五行、薺、はこべら、佛の座、すヾな、耳なし也といひ、又或日記には芹、薺、蘩蔞、五行、すヾしろ、佛の座、田平子也とも〈同上〉いへり、然りといへども、枕草子に七日の若菜を人の六日にもてさはぎ、とりちらしなどするに、みもしらぬ草を、〈◯中略〉みヽな草となんいふといふものヽあれば、うべなりけり、きかぬがほなるはなど笑ふにとみへたり、此みヽな草は、即壒囊鈔にいはゆる耳なしと一物にして、今も俗にみヽなぐさといふものなり、清少納言の見もしらぬ草を、子供のもてきたるといへる文によれば、此頃までは耳なぐさは、七種の數には入らぬ草にて、清少納言もはじめて此草をばみし也、されど壒囊鈔に載る所の兩説の七種菜は、永觀の頃よりははるかに後の人の作りしものなる事しるし、或はいふ今松尾の社家より奉る七種は、芹、なづな、御形、〈はヽこぐさ〉はこべら、佛の座、〈これは救荒本草の風輪に充し草なり〉すヾな、〈かぶらな〉すヾしろ〈大根〉なり、また別本公事年中行事に圖を出したるは、芹、なづな、御形、〈はヽこぐさ〉佛の座、〈おほばこ〉はこべら、すヾしろ、〈大根〉すヾな〈かぶらな〉なり、今關東にて七種の粥といふは、青菜と薺をまじへて祝ふなりといへり、凡七種の粥を禁中に奉りしは、梁の宗懍が荊楚歳時記に、正月七日俗以七種菜羹、といへる文にもとづかれしものなれども、其七種は西土の人といへども、後世に至りては、しるものなきによりて、本邦にては季冬より初春をかけて生出る種々を以て、強てその數に合せしものなるべければ、家々にてその説まちまちなりといへ共、四辻左大臣の説最ふるし、故に今その説に從ひて品物をわかちしなり、扨關東にては、青菜と薺をまじへて祝ふといふといへども、それを打はやす爼板の上には、火箸、擂槌、