古事類苑>歳時部十三>年始雜載>七日>七種粥
第 1 巻 905 頁 画像表示

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鈔名物也、豈浮ケル事アランヤ、又禁中ノ事、年中行事ニシカンヤ、既ニ癈マデ註セリ、爭カ當時事漏哉、旁不審事也、乍去諸人皆七日ト思ヘリ、何ナル事歟、人ニ可尋也、

〔世諺問答〕
正月 問て云、七日にあつ物をくふは、何のゆへにて侍ぞや、 答、正月は小陽の月なり、また七日は小陽の數なり、よつて朝廷をはじめとして、わたくしの家にいたるまで、宴會をもよほすなり、それにあつものを食すれば、万病また邪氣をのぞく術なりといふ本文あり、荊楚記といふ文にも、羹を食して人俗病なければ、けふを人日とするとみえたり、延喜十一年正月七日に、後院より七種のわかなを供ずとみえたり、七種わかなといふは薺、はこべら、せり、御形、すヾしろ、佛の座などなり、北野天神も和菜羹啜口と作給ひたれば、むかしより侍りし事にや、

〔本朝食鑑  一穀〕
粥 古者上元日、兼赤豆粥同獻七種粥、七種者米、小豆、大角豆、黍、粟、菫子、薯蕷、或曰、白穀、大豆、小豆、栗、粟、柿、大角豆也、今俗正月七日、上下薺粥中入燒餅子而嘗之、此擬七種菜、則迎新之意乎、

〔春の七くさ〕
公事根源に、延喜〈六十代醍醐天皇〉十一年正月七日に、後院より七種を供ず、〈江家次第に、後院は冷泉院朱雀院等をいふ也といへり、〉按に正月七日に、七種を供ぜしは、この御時よりことはじまるなるべし、おほよそ若菜とは、ひろく春くさの初苗をさしていふ名なり、〈◯中略〉又公事根源に天暦〈六十二代村上天皇〉四年二月二十九日、女御安子の朝臣、若菜を奉るよし、李部王の日記にみえたり、〈李部王は式部卿兼明親王、延喜の皇子なり、〉若菜を十二種供ずる事あり、其種々は、若菜、はこべら、苣、せり、蕨、なづな、あふひ、芝、蓬、水蓼、水雲、〈一に薊〉松と見へたり、〈◯中略〉天暦の御時に、十二種の名物は備たれど、七種の名物はいまだ詳ならず、〈◯中略〉或はいふ今松尾の社家より奉る七種は、芹、なづな、御形、〈はヽこぐさ〉はこべら、佛の座、〈是は周定王救荒本草の風輪菜に充しくさなり、〉すヾな、〈かぶらな〉すヾしろ、〈大根〉又あるひはいふ、今水無瀬家より獻ずる若菜の御羹は、青菜と薺ばかりなりとぞ、また櫃司供御所より奉る七種の御粥は、薺を少しまじへて奉るといへり、〈以上の三説は皆傳へ聞たる事なれば、したしくしらず、〉今關東にて七種の粥といふは、青菜となづなをまじへて祝ふなり、