古事類苑>歳時部十三>年始雜載>七日>名稱
第 1 巻 904 頁 画像表示

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私に云、右御船御乘初、正月八日と定られたは、御初入御着岸の御吉例より始し處、其後延寶九年四月八日、將軍家の御日柄を憚らせ給ひて、同月十五日に轉ぜられ、深尾因幡殿御名代を勤られし事左の如し、慶長六年より天和元年迄、中間八十一年也、

〔御當家略年代記〕
元祿十六癸未、御船御乘初、當年より正月十六日に被仰付、是迄十五日也、天和元年より元祿十六年迄、中間二十三年也、

〔東潛夫論  下〕
當時諸侯ノ國、文事ニモ非ズ、武備ニモ非ズ、昔ヨリ仕來リシコト甚ダ多シ、其一二ヲ擧ゲバ、謳初メ、鼔初メ、舟乘リ初メ○○○○○、鷹狩初メ、此等ノコト初メ、ミナ益ナキコトナリ、

七日
名稱
〔下學集  上時節〕
シン日〈正月七日也、凡毎年正月一日曰雞日、(中略)七日人日、八日曰穀日、見荊楚歳時記矣、或書曰、人日以七種菜羹、食之則諸人無病患也、〉

〔書言字考節用集  二時候〕
人日ジンジツ〈又云靈辰、正月七日也、事見歳時記、五雜組、匀瑞、〉

〔月令廣義  五正月〕
初七日、人日、〈七日主人〉

〔荊楚歳時記〕
正月七日爲人日、以七種菜羹、翦綵爲人、或鏤金薄人、以貼屏風、亦戴之頭鬢、又造華勝以相遺、登高賦詩、 按、董勛問禮俗曰、正月一日爲鷄、二日爲狗、三日爲羊、四日爲豬、五日爲牛、六日爲馬、七日爲人、正旦畫雞於門、七日帖人於帳、今一日不雞、二日不狗、三日不羊、四日不豬、五日不牛、六日不馬、七日不刑、亦此義也、古乃磔雞、今則不殺、

七種粥
〔二中歴  五歳時〕
節日由緒 七日採七種羹〈七日七種羹、先嘗味、除邪氣之術也、〉

〔壒囊抄  一〕
正月七日ノ七草ノアツモノト云ハ、七種ハ何々ゾ、七種ト云ハ、異説アル歟、不一准、或歌ニハ、 セリナヅナ五行タビラク佛座アシナミヽナシ是ヤ七種 芹五行ナヅナハコベラ佛座スヾナミミナシ是ヤ七クサ 又或日記ニハ、ナヅナ蘩蔞ハコベラ、五行、スヾシロ、佛座、田ビラコ、是等也ト云々、但正月七日七草ヲ獻ズト云事更ニナシ、年中行事ニハ、七日白馬節會及叙位事、兵部省ノ御弓ノ奏事ト許リ記シテ、七草ト云事ナシ、十五日ニコソ獻七種御粥事ト註シ侍レ、又資隆卿八條院ヘ書進スル簾中鈔此定也、彼