古事類苑>歳時部十三>年始雜載>千秋萬歳>參朝廷
第 1 巻 884 頁 画像表示

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の妻戸より參りて、御通もありしとかや、されど此比は、五日のみ參れば、便宜の所なるによりて、西面にて御覽あり、

〔禁中年中行事  正月〕
五日 千壽萬歳 於東庭唱門師勤之 猿舞 同所ニテ在之 清凉殿出御、女中并内々公家衆御盃被下、

〔禁中恒例年中行事  正月〕
五日 千秋萬歳 是は清凉殿の西面に簾中出御、萬歳を御覽なり、公卿は西の廣椽、殿上人は取合の落椽に候ず、西の御庭〈棗の御庭といふ〉にて萬歳舞畢て退き、猿廻し出、猿を廻し、果て入御なり、萬歳は小泉豐後とて、土御門家支配の陰陽師萬歳役なり、京住也、猿廻しは町家のものにて、御所にては瀧井兵庫といふ、猿廻し役にて京住なり、雜人拜見をも入るヽなり、

〔光臺一覽  一〕
五日〈◯正月〉は千壽萬歳の猿廻しに、御所の庭にて勤之、

〔故實拾要  三〕
同日〈◯正月五日〉千壽萬歳并猿舞 是清凉殿ノ於西庭此義アリ

〔諸國圖會年中行事大成  一正月〕
五日、千壽萬歳、 今日東の御庭に來り早歌唱ふ、次に猿舞あり、萬歳は大和國窪田、箸尾兩村より出る兩流あり、窪田大夫、箸尾大夫と云、左部右部に准じて稱す、 今日東の御庭に於て萬歳あり、次に猿舞猿を牽き歌を唱ふ、これに合して猿幣を持て、御庭に舞ふ、或説云、先壽とは、猿舞の事なりと云々、其是非をしらず、京師に猿を舞すもの六人あり、此外みだりに猿をつかふことを免さず、又伏見に六人あり、千壽萬歳は萬歳樂にて、踏歌節會を擬ぶと云々、

〔一話一言  四十五〕
禁裏萬歳之御式 此時所司代より警固出役無御座候、又諸人の拜見も不相成候故に、於彼地も誰も存じ不申候、珍敷物にて御座候、尤此書面とても、あらましに御座候、 京都住 萬歳 小泉豐後 毎正月四日、紫宸殿御庭にて舞申候、裝束は三位烏帽子〈此烏帽子、古へ上より給はりし由申傳候、〉大紋著〈但下は半袴の如く裾短也、大紋萌黄色ノ薄キ様ナルモノヽヨシ、紋所丸ノ内ニ笹輪頭ヲ附ル、〉服は紅の兩面の小袖、〈尤無紋〉下に白無