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日本実業史博物館準備室旧蔵資料

 日本実業史博物館構想が断念された後、その準備室が収集したさまざまな資史料は、昭和26年(1951)に文部省史料館(旧・国文学研究資料館史料館〔通称・国立史料館〕の前身)に一括寄託されました。そして渋沢敬三が没する前年の昭和37年(1962)9月,正式に寄贈となり現在に至っています(資料記号は37T、日本実業史博物館の略称:実博)。
 日本実業史博物館準備室旧蔵資料は,つぎのように構成されています。
 (1)絵画・(2)地図・(3)番付・(4)竹森文庫・(5)古紙幣・(6)器物・(7)文書・(8)書籍・(9)広告・(10)写真,(11)博物館準備アーカイブズの各部です.
 これらの資料のうち(1)から(4)までの資料は、『史料館収蔵史料目録 第11集』(1971年)、および(1)の一部の画像は『史料館叢書 別巻1 明治開化期の錦絵』(東京大学出版会,1989年)、(5)の資料は『史料館収蔵史料目録 第57集』(1992年),および一部の画像は『史料館叢書別巻2 江戸時代の紙幣』(東京大学出版会,1993年)に収録されています。
 実博では、建設計画にあたる「一つの提案」をもとに収集し、大まかな部門分けを行っています。例えば、「購入品原簿」では、購入したコレクションに対して、以下のような部門に分け、次に細項目を立てて分類がなされていました。  
 図葉  図1:錦絵 図2:地図 図3:番付 図4:その他
 書籍  書1:風俗 書2:産業 書3:経済 書4:雑
 物品  物1:農業 物2:手工業 物3:商業  物4:交通 物5:金融
 物6:度量衡 物7:日用品 物8:衣料 物9:雑

 この部門分けが「実博旧番号」にあたります。
1939年「渋沢青淵翁記念実業博物館」地鎮祭の前年、「一つの提案」をコレクション形成の基本とした資料収集が本格化し、1314点と最高の購入品数となっています。収集の第一番目は、1937(昭和12)年6月12日付、うさぎや納品の錦絵36点です。一方の民族資料を収集したアチックミューゼアムは、日本民族学会付属民族学博物館の開館する1939年にその収集がほぼ終了します。
 資料収集は、土屋喬雄(帝国大学経済学部教授)、樋畑雪湖(逓信博物館主任)、樋畑武雄、遠藤武(元東京帝室博物館)等とともに、甲州文庫功力亀内、粋古堂伊藤敬次郎、うさぎや書店原田忠一、木内書店木内誠が収集活動にあたりました。アチックと実博資料の収集方法は異なり、前者は主として民俗学の研究者達による調査収集であり、後者は古書店・古物商などに依頼して購入するのが8割を超えています。よって、採集地や収集経緯が判然としませんが、購入金額や納入者とその時期に関する記録が残されています。(財)竜門社の事業の一環であることから、購入経過会計帳簿記録が詳細です。このことが実博コレクション形成の特徴といえるます。
 購入資料の選定の場面を博物館準備室アーカイブズにある「準備室日記」をみると「昭和拾四年十二月拾壱日 晴、月 小林、遠藤出勤。甲州文庫来訪。功刀氏初対面。持参セシモノ、和紙手漉用具以下、見タルモサシテ欲シキモノナシ。午后、古書店ニ行キシ藤木氏ト共ニウサギ屋、粋古堂来訪。(中略)渋沢氏来室、小林留守」と、器物の紙漉用具を甲州文庫が持参し、古書店や渋沢敬三氏の来室が記録されています。この紙漉用具は、「購入品原簿」で12月28日に支払いが済んでいます。1940年2月13日火曜日は、「小林、遠藤出勤。粋古堂、錦画持参。甲州文庫再訪。甲州文庫分ダケ決定支払済。渋沢氏再来室、午后四時半迄カヽリ粋古堂決定」とあり、渋沢自身が時間をかけて錦絵選定を行っている様子が窺えます。他の記述からも、渋沢の判断に従って行われていたことがわかります。場所は準備室の置かれた渋沢が頭取を務める第一銀行の一室です。
 1943年3月8日「3月3日(水曜日)ニ、突然第一銀行ヨリ、25日迄ニ明渡サレタシノ交渉アリシ由」とあり、第一銀行からの勧告により、9~10日に龍門社をはじめ諸方と相談し、翌11日から移転作業が開始されました。その移転作業にはうさぎやなど出入の古物商も応援に駆け付けています。旧阪谷邸(大蔵大臣・東京市長を務めた阪谷芳郎の私邸、現在の文京区白山4丁目)への移転が完了しました。戦局の悪化により「準備室日記」によると、1944年7月1日に行われた「博物館建設委員連合会議」によって非開館が決定します。以後の準備室における業務はそれまでの開館に向けた活発な活動から一転し、主として収集資料の整理や戦時下に伴う防空対策など、館の維持が中心となります。渋沢敬三の決定により、民具や写真の収集が中止され、書籍に限定されていきます。さらに1943年に展示用に購入した陳列ケースも他の資料と共に土蔵に格納することとなりました。