【陸奥国白河郡踏瀬村箭内家文書】
識別記号 ac1991001
資料記号 1991A
標題 陸奥国白河郡踏瀬村箭内家文書
年代 1649年~1941年
主年代 江戸後
年代注記 1649(慶安2)年-1941(昭和16)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 14m/5137点
物的状態注記 5137点
出所・作成 箭内家
履歴 箭内家はもと結城氏の家臣で、16世紀後期の天正期に踏瀬村に来住したという。代々名左衛門を名乗り、寛永年間以降踏瀬村検断をつとめて苗字御免、さらに慶安年間以降検断、庄屋両役をつとめて1759(宝暦9)年に帯刀御免となった。同家は踏瀬村庄屋のほか、踏瀬宿の問屋・検断の地位を世襲し、さらに踏瀬新田村、十軒新田村、七軒新田村、二子塚村、二子塚新田村の庄屋を兼務した。また幕末期には駒付役に任ぜられた。明治以降は、踏瀬村副戸長、同用掛兼什長、同戸長、太田川村戸長兼務、踏瀬村在勤用掛などを歴任した。箭内家の所持高は近世後期から明治にかけてほぼ30石前後で、一貫して村内1、2の地位を維持している。ほかに多くの山林も所持していた。幕末期には酒造も行っている。明治以降は、「郵便馬車会社」「内国通運会社」の分社を営んだほか、「積金同盟会」「踏瀬信用購買販売組合」などの活動の中心を担っている。
(関係地)陸奥国白河郡踏瀬村‐白河県‐二本松県‐福島県第六大区第一小区踏瀬村‐福島県第十三区踏瀬村‐福島県第九区踏瀬村‐福島県西白河郡川崎村踏瀬‐福島県西白河郡泉崎村踏瀬[現在]
(主題)庄屋|問屋|検断|駒付役|副戸長|戸長|用掛兼什長|地主|運輸業
(役職等)庄屋|問屋|検断|駒付役|副戸長|戸長|用掛兼什長|地主|運輸業
伝来 1990年度に原蔵者から寄贈。
入手源 原蔵者
範囲と内容 本文書群は、(1)踏瀬村文書(明治9年まで)、(2)踏瀬宿文書、(3)駒付役文書、(4)庄屋兼帯諸村文書、(5)踏瀬村文書(明治10年以降)、(6)箭内家文書、によって構成される。 (1)は近世踏瀬村の庄屋文書および明治初期の副戸長・用掛文書である。基本的な村方文書が揃っているが、天保期に火災にあったことも一因であるのか、18世紀以前の文書は少なく大部分が19世紀のものである。目録では機能別に、土地、年貢諸役、村入用、支配、村政、戸口、寺社の各項目に編成・配列されている。 (2)は箭内家が踏瀬宿の問屋・検断をつとめたことによる伝来文書である。踏瀬宿は奥州道中の宿駅で、空間的には踏瀬村と重なるが、宿役人として問屋、検断、帳付、馬差がおかれ、問屋・検断は箭内家が世襲した。検断は奥州道中宿駅におかれた役職で、宿方名主のような任務を負わされたと見られるが、踏瀬宿の場合は箭内家が世襲していたこともあり、検断固有の職務を史料から見いだすことはできない。踏瀬宿文書としては、「往還御用留」「御先触留帳」「日〆帳」などの宿勤関係文書と、「助郷勤方議定書」その他の助郷関係文書などがある。 (3)の駒付役とは、領主に任命されて、セリ駒の管理、駒改め、駒代金の貸付などを行う役職で、箭内家は1854(安政元)年以来この任務に関わり、1871(明治4)年まで在職した。駒付役文書としては、「駒御用留」をはじめ、駒改め関係として「当歳駒取調書上帳」「弐歳駒取調書上帳」など、セリ駒関係として「御せり駒相調書上帳」「御せり駒代金取立帳」など、ほかに種駒拝借証文などがある。 (4)は庄屋役を兼務した踏瀬新田村、十軒新田村、七軒新田村、二子塚村、二子塚新田村の村方文書で、いずれも大半が近世後期のものである。 (5)は、1877(明治10年)に踏瀬村が踏瀬新田村と十軒新田村を合併して以降、箭内名左衛門が踏瀬村用掛や戸長の職にあったことによる伝来文書で、地租改正や租税・村費関係その他の村政文書が多数残存している。 (6)は箭内家の私的な活動に関わる文書で、小作、金融、酒造、内国通運会社等に関する経営文書や、積金同盟会文書、踏瀬信用購買販売組合文書のほか、冠婚葬祭史料や蔵書類も含まれる。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件 EAD-XML検索システムでの検索も可能ですが、閲覧を希望する場合は事前に情報サービス第2係(歴史資料担当)へお問い合わせ下さい。
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第54・55集(1991・1992年);『史料館所蔵史料目録』は1990Aとあるがラベルの表示は1991A
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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