【肥後国天草郡本戸馬場村木山家文書】
識別記号 ac1981210
資料記号 F8110 F8408 F8705 F8801 F8903 F9006 F9103 F9203 F9303
標題 肥後国天草郡本戸馬場村木山家文書
年代 1661年~1941年
主年代
年代注記 1661(寛文元)年-1941(昭和16)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 /77点
物的状態注記 マイクロフィルム;77リール 4万2423コマ 289冊 978点(史料番号による。実数はこれをかなり上回る。)
出所・作成 木山家
履歴 木山家の祖は、1589(天正17)年の天草合戦のとき加藤清正と一騎打ちをして討死にした木山弾正惟久(もと益城郡木山郷城主)である。敗戦により子孫は鹿児島出水に逃れ母方の吉田姓を名乗っていたが、拾兵衛のとき本戸に帰り、天草島原の乱後の1641(寛永18)年に天草が幕領となって以来、幕末まで11代にわたって本戸組大庄屋を世襲した。またその間、一貫して本渡馬場村庄屋を兼帯している。11代為彦惟一は明治になってから、里正、戸長、県会議員をつとめ、また12代重吉と13代惟重は、村会議員、町会議員、本戸村長、本渡町長、天草郡蚕糸業組合長、本戸村養蚕組合長などを歴任している。
(関係地)肥後国天草郡本戸馬場村‐富岡県・天草県・長崎府・長崎県・八代県・白川県を経て熊本県天草郡本戸馬場村‐本戸村本渡馬場‐本渡町本戸馬場‐本渡市本戸馬場(浜崎町)[現在]
(主題)大庄屋‐庄屋‐戸長‐県会議員‐村長‐町長など
(役職等)大庄屋‐庄屋‐戸長‐県会議員‐村長‐町長など
伝来 木山惟彦氏(熊本県本渡市)
入手源 木山惟彦氏
範囲と内容 当館では9年次にわたり木山家文書のほぼ全部を撮影収集した。木山家文書は、(1)近世郡会所文書、(2)近世本戸組文書、(3)近世本戸馬場村文書、(4)木山家の家・個人文書、によって構成されると考えられる。 (1)は1781(天明元)年に富岡陣屋元に設置された郡会所の文書である。郡会所には最初大庄屋2名ずつが1か月交替で詰めたが、1786(天明6)年からは1人ずつ1年交替で勤める年番制となった。木山家文書には、木山氏が年番大庄屋として富岡郡会所に詰めていた時に作成したり受け取ったりした公用文書が、数は多くはないが含まれている(たとえば「文政七年会所定式并年中諸入用勘定帳」など)。また、他組大庄屋が年番の時の郡会所文書も少なからず混じっている。何らかの理由で木山氏が引継ぎを受けたものであろう。 (2)は本戸組大庄屋文書で、本文書群の相当部分を占めている。その内容は、「御用触写帳」(天明-明治)65冊、「万覚帳」(明和-文久)58冊を中心に、大庄屋の幅広い権限を反映して広範囲にわたっている。ちなみに本戸組は、本戸馬場村・町山口村・櫨宇土村・食場村・亀川村・楠浦村・大宮地村・小宮地村・大多尾村の9か村からなる。 (3)は本戸馬場村の庄屋文書である。ただ、庄屋としての職務に関わる文書であっても木山家が自らを「本戸馬場村庄屋」と称することはなく、文書中に出てくる肩書きはあくまで「本戸馬場村大庄屋」なので、厳密には「庄屋文書」という表現は正確ではないかもしれない。しかしいずれにしても、木山家文書に占める本戸馬場村文書の割合は極めて低く、年貢や土地に関する基本的な村方文書もごく断片的にしか見いだせない。 最後に、(4)の家・個人文書は、a,近代公職関係文書とb,家政文書・私文書に分けられる。a,は、明治中期以降木山家当主が行政その他の公職(本戸村長、本渡町長、熊本県議会議員、天草郡蚕糸業組合長、本戸村養蚕組合長など)についたことによって伝来した文書群で、予算決算書類や議事録、蚕糸業組合の帳簿類などがある。b,は木山家と歴代当主その他家族構成員の、まさに私的な文書群で、江戸時代以来の家計帳簿や証文類、それに膨大な数の書簡などがある。もっとも書簡については、私信か公用状かを明確に区別できないものが多い。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 マイクロ収集史料目録。なお、撮影文書の中に「木山家古文書目録(稿)」(史料番号62)があり参考になる。
原本の所在 木山惟彦氏(熊本県本渡市)
利用可能な代替方式
関連資料
出版物 本渡市教育委員会『天領天草大庄屋木山家文書・御用触写帳第1巻』(1995年)。なお、『史料館報』36、42、48、50、56、58、60号参照。
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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