【備中国松山板倉家文書】
識別記号 ac1974302
資料記号 寄託
標題 備中国松山板倉家文書
年代 1779年~1826年
主年代 江戸
年代注記 1779(安永8)年-1826(文政9)年。
記述レベル fonds
書架延長/数量 1m/16点
物的状態注記 16冊。
出所・作成 板倉家
履歴 板倉家は、1590(天正18)年に板倉勝重が徳川家康より武蔵国新座・豊島二郡の内にて2千石を得たのに始まり、1601(慶長6)年には三河国碧海・幡豆・額田三郡にて6610石を加増され、京都所司代に任じられた。1609(慶長14)年加増を受け1万6600石となる。子の重宗は、徳川秀忠の側近として出世し、1620(元和6)年に父の跡をうけ所司代となり、1624(寛永元)年勝重の死去により遺領を継ぎ3万8000石を領した。1633(寛永10)年1万2000石を加増され、摂津国島上・島下郡、山城国綴喜・久世・相楽郡、近江国伊香・浅井郡、常陸国新治・筑波郡、武蔵国新座・豊島郡の内にて5万石を領した。1656(明暦2)年下総国関宿城主5万石となり、同年12月重宗の死去により子の重郷が遺領を継ぎ、雁間詰、奏者番・寺社奉行を勤めた。1669(寛文9)年重常の時に伊勢国亀山城に移封、1710(宝永7)年重治の時に志摩国鳥羽城に移されたが、1717(享保2)年再び伊勢国亀山城に戻された。1744(延享元)年、勝澄の時に備中松山5万石に移封され、幕末・廃藩にいたった。幕末期には、勝静が老中・会計職総裁を勤めた。
(関係地)1.下総国葛飾郡関宿‐千葉県東葛飾郡関宿町[現在]|2.伊勢国鈴鹿郡亀山‐三重県亀山市[現在]|3.志摩国答志郡鳥羽‐三重県鳥羽市[現在]|4.伊勢国鈴鹿郡亀山‐三重県亀山市[現在]|5.備中国上房郡松山‐岡山県高梁市[現在]
(主題)大名;京都所司代‐老中
(役職等)大名;京都所司代‐老中
伝来 1974年度に原蔵者より寄託。
入手源 原蔵者
範囲と内容 本文書群の大半は、家臣の書上げによる先祖以来の由緒書を編纂した「松山御家中由緒書」で、1779(安永8)年のものが5冊、1826(文政9)年のものが10冊ある。いずれも欠本があり、内容的にも安永以前のものには重複がある。ほかに、1780(安永9)年の「組外組並由緒書」1冊がある。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 寄託史料目録またはカード目録
原本の所在
利用可能な代替方式 「備中国松山板倉家文書」(当館マイクロF8606)
関連資料 「備中国松山板倉家文書」(当館マイクロF8606)、「伊勢国亀山板倉家国絵図史料」(35W)、「伊勢国亀山藩板倉家史料」(明治大学刑事博物館所蔵)、「有終館文庫」「板倉文庫」(高梁市立図書館所蔵)がある。
出版物 『史料館報』22号(1975年3月)、45号(1986年9月)に概要が記されている。
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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