【摂津国島上郡永井家文書】
識別記号 ac1971207
資料記号 F7107
標題 摂津国島上郡永井家文書
年代 1624年~1720年
主年代 江戸前
年代注記 1624‐1643(寛永期)年-1720(享保5)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 /1点
物的状態注記 マイクロフィルム;1リール 158コマ 2冊 6点
出所・作成 永井家
履歴 譜代大名永井氏は、本能寺の変の危急の際、家康の岡崎帰城に功あった長田重元、直勝父子を祖とし、子直勝が永井に改姓したのにはじまる。永井日向守直清は、その直勝の次男である。直清は1591(天正19)年に生まれ、幼名は伝十郎と称し、母は阿部正勝の娘であることから、大坂城代阿部正次は伯父、老中阿部重次・忠秋らは従弟の関係にある。7、8才の頃からしばしば家康・秀忠にまみえ、1604(慶長9)年より小姓を勤め、のち書院番となる。大坂の陣に従い、功あって上総国埴生・長柄郡、下総国葛飾郡の内で530石を与えられ、後父直勝の遺領3500石を分与され、都合4300石を知行した。1632(寛永9)年には書院番頭に列し、従五位下、日向守に叙任、上総国で3000石加増、旧知と新墾田合わせて8000石となる。翌年書院番頭の職を解かれ、1万2000石の加増とともに、采地を改めて山城国紀伊・乙訓、摂津国芥川・太田四郡の内で合わせて2万石、山城国長岡の勝龍寺を居所にするも、後同所神足寺に移す。同13年江戸城本丸天守の普請手伝、同16年から東寺塔再興の奉行にあたる。1647(正保4)年大坂城代阿部正次死去により城代代行、1649(慶安2)年1万6000石加増され、旧知を転じて摂津国芥川・太田・川辺・能勢・嶋下・住吉六郡の内3万6000石を領し、高槻城主となり、以後明治維新に至るまで直清の子孫が歴代の藩主であるので、直清が実質上の藩祖である。
(関係地)摂津国島上郡高槻‐大阪府高槻市高槻町[現在]
(主題)大名
(役職等)大名
伝来 永井直英氏(神奈川県横浜市緑区)
入手源 永井直英氏
範囲と内容 点数は少なく「系譜」(享保5年)1冊と「肥前国天艸一揆書付」である。後者は永井家文書のうち、1637・1638(寛永14・15)年の島原の乱に関する文書を4巻の巻子に仕立てたもので、約100点が収められており、中には直清宛の書状もある。直清の兄尚政は山城国淀藩主で、『寛政重修諸家譜』によると「(1637年・寛永14年)十一月肥前国にをいて耶蘇の徒一揆のとき、鈞命をかうぶり京都の守護としてかの地におもむき、京大坂にあるところの奉行等に諸事を談ず」とあることから、この一揆関係文書が永井家に伝来したものである。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 マイクロ収集史料目録
原本の所在 永井直英氏(神奈川県横浜市緑区)
利用可能な代替方式
関連資料 永井家文書がまとまってあるのは、奈良教育大学附属図書館(高槻藩古文書)である。大部分は高槻藩主永井直清に宛てられた奉書・書状類で、直清の嫡孫直時宛のものも若干含まれ、年代的には1633(寛永10)年から1673‐1680年(延宝期)までの40余年にわたっている。原本は336通あって、それが21巻の巻子に仕立てられている。また、当館撮影分の「肥前国天艸一揆書付」の影写本(1930年写)が東京大学史料編纂所にある。他に少量ながら京都大学、岐阜県立図書館、国立公文書館内閣文庫、東京大学史料編纂所に散見される(詳細は学習院大学史料館編『旧華族家史料所在調査報告書』本編3、家番号633、1993年を参照)。
出版物 『高槻市史』第4巻(1)史料編II(1974年)に奈良教育大学附属図書館所蔵の永井家文書の全てが掲載されている。
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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