【近江国蒲生郡鏡村玉尾家文書】
識別記号 ac1960010
資料記号 35J 36X1 44A 44B
標題 近江国蒲生郡鏡村玉尾家文書
年代 1692年~1911年
主年代 江戸
年代注記 1692(元禄5)年-1911(明治44)年、近世のものが大半である。
記述レベル fonds
書架延長/数量 2m/2481点
物的状態注記 2481点
出所・作成 玉尾家
履歴 玉尾家があった鏡村は、中山道が北東から南西に走り、集落も町場化した街道沿いに多く見られた。また、物流に大きな役割を果たした琵琶湖へも近い。主要な生産活動は米作である。 玉尾家は、こうした地理的特性から魚肥商・穀屋などを営み、屋号も米屋を称した。魚肥は敦賀から仕入れ、米の集散地である大津で米の取引を行なった。相場動向にも細心の注意を払っており、関連の史料も多数見られる。持高は1692(元禄5)年段階では16石7斗余、1723(享保8)年29石8斗余、1789(寛政元)年47石8斗余を所持する。こうした経済的な成長を背景に、1813(文化10)年、7代親宣は仁正寺藩の財政再建策「領主取立講」の「御講世話方」に任命された。1815(文化12)年には村庄屋に初めて就任する。なお、この段階では、村にもう1人庄屋(中山氏)がおり、2人制が取られていた。1824(文政7)年の親宣退役後は、8代親徳(庄五郎)が庄屋に就任し、1831(天保2)年には御勝手方を兼任、役料1石を給された。その後も各代の当主がそれぞれ同様の職に就いている。また、8代親徳の俳諧をはじめ、文化文芸に関する活動も見られる。
(関係地)近江国蒲生郡鏡村‐滋賀県蒲生郡竜王町鏡[現在]
(主題)庄屋‐藩御勝手方;魚肥商‐穀商人
(役職等)庄屋‐藩御勝手方;魚肥商‐穀商人
伝来 1960年、1961年の両年度にわたって故紙業者より購入(1961年度は、他の36Xの文書とともに一括して購入)。さらに1969年度にも両度にわたって古書店より購入。
入手源 35J 36X1は故紙業者、44A 44Bは古書店
範囲と内容 玉尾家文書は、概ね3つの文書群からなっている。(1)玉尾家の家政・経営に関わる文書、(2)鏡村庄屋文書、(3)領主御用に関する文書である。(1)は、同家の記録「永代帳」(寛延3年-明治12年)、日記類をはじめ、年貢の受取、米金の貸付証文、頼母子講、商用に関わる書状類、相場書、米・魚肥取り引き関係史料、近世中期の分家である京都玉尾家からの書状などからなる。史料の年代は近世後期が大半である。(2)は玉尾家の庄屋就任が1814(文化11)年が最初であるため、その大半は同年以降のものであるが、鏡村山組に属した関係から同組に関しては1814年以前のものも散見する。なお、鏡村は東・中・西・山の4組からなっていた。史料は年貢諸役関係、武佐宿への助郷関係、御用金、地頭法、村法、村役人任免、宗門帳など当時の領主と村との関係を充分に検討し得る史料が残っている。(3)は必ずしも点数が多くはないが、「御勝手方役被仰付之砌諸用覚」(天保2年-慶応2年)をはじめ、書簡類が綴られたものが見られる。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第23集(1974年)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 鏡村の庄屋文書と関連するものに「竜王町鏡区有文書」(当館マイクロ収集、F6906)がある。
出版物 国立史料館編『近江国鏡村玉尾家永代帳(史料館叢書10)』(1988年)
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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