【下総国相馬郡川原代村木村家文書】
識別記号 ac1959002
資料記号 34B
標題 下総国相馬郡川原代村木村家文書
年代 1631年~1908年
主年代 江戸後
年代注記 1631(寛永8)年-1908(明治41)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 14m/3980点
物的状態注記 3980点余
出所・作成 木村家
履歴 木村氏は戦国期牛久居住の国見治部太夫頼房の執権を勤め、1588(天正16)年国見氏が多賀谷氏と合戦におよび滅亡後、川原代郷に居住したとされる。当主は代々藤左衛門を名乗ることが多い(幕末の当主が一時期源三郎を名乗る)。同村は天正期に上州太田金山から移った由良氏の所領となり、1629(寛永6)年に牛久藩領となる。同藩による1631(寛永8)年の「下総国北相馬郡川原代村縄打帳」には案内者(藤左衛門)として名前が見られる。1679(延宝7)年、土浦藩土屋氏の分家である旗本土屋氏の所領となり幕末に至る。川原代村は1000石を越える大村であり、1708(宝永5)年段階では関・小屋・花丸・紅葉内・冷汁内・中坪・西道内・芳黄・知手・門倉・姫宮・道仙田の各村によって構成され、名主も2、3名置かれた。 旗本土屋氏の知行高は2100石余であり、知行所は1708年段階では、下総国川原代村、常陸国柏田村・中嶋村・下根村・馬場村・竹原新田・田嶋村であり、幕末には6石余の三箇村が加わるものの大きな異動はない。川原代村は知行所のなかにあっては大村であり、木村家は割元・賄方・地代官などに就任しており、知行所支配の中核的な存在であった。1707年の持高は、川原代村に93石余、入地村に21石余を有していた。なお、同家の1707年の分家「池端木村家」は同じ村にあって名主役などを勤めた。
(関係地)下総国相馬郡川原代村‐下総国相馬郡第九大区五小区川原代村‐茨城県竜ヶ崎市川原代町[現在]
(主題)名主|割元|旗本賄方|地代官|戸長
(役職等)名主|割元|旗本賄方|地代官|戸長
伝来 1959年度に「丹後国加佐郡田辺三宅家文書」(36X7)とともに一括して古書店より購入。
入手源 古書店
範囲と内容 木村家文書は大きく3つの文書群からなる。(1)川原代村名主文書、(2)割元文書、(3)戸長文書、(4)家文書である。(1)には、「御用留」(文政から明治期)・村入用帳・検地帳(総検地帳は寛永8年、万治2年、宝永5年)、秣場騒動、普請願などがみえるが、いわゆる村方史料が揃っているとはいい難い。世襲的な名主ではなかった点も関連するとみられる。これに比して(2)の割元文書は天保期頃から確認でき、幕末期にかけての内容はたいへん豊かである。旗本の家の冠婚葬祭などに関わるもの、旗本知行所各村の宗門人別改帳、各知行所からの出入り訴訟に関する取り次ぎ、鉄炮改、知行所各所の村高改、年貢関係、地頭賄、幕末兵賦など軍賦関係、割元・勝手賄・地代官などの機能に関わり多くの史料が揃っている。(3)戸長文書は、点数的には多くないが、明治初年のものが見られる。(4)家関係では相続分家関係、奉公人、地主小作関係、金銭貸借などのものがある。また、書状等も多い。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件 EAD-XML検索システムでの検索も可能ですが、閲覧を希望する場合は事前に情報サービス第2係(歴史資料担当)へお問い合わせ下さい。
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第32集(1980年)。本目録には同家より1979年度にマイクロフィルムで採訪した文書23点の目録も付す。
原本の所在
利用可能な代替方式 茨城県立歴史館が全文書を撮影しているほか、千葉県文書館が一部を撮影している。
関連資料 現地の竜ヶ崎市には木村家所蔵文書および木村家分家である「池端木村家文書」があり、当館ではそれぞれマイクロ収集している(F7904 F8104、F7801 F7804 F7903 F8103)。
出版物 『龍ヶ崎市史』近世史料編II(1994年)
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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