【信濃国高井郡東江部村山田家文書||YAMADA family papers and collections of Higashi-ebu village, Takai district, the province of Shinano】
識別記号 ac1957008
資料記号 32H
標題 信濃国高井郡東江部村山田家文書||YAMADA family papers and collections of Higashi-ebu village, Takai district, the province of Shinano
年代 1674年~1936年
主年代
年代注記 1674(延宝2)年-1936(昭和11)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 8m/895点
物的状態注記 895点(322通、424冊、137綴、9枚、3鋪)及び5括・5箱、このほか未整理10箱。
出所・作成 山田家
履歴 山田家は戦国大名武田氏の家臣と伝承され、東江部村始祖初代山田庄左衛門は1615−1643年(元和−寛永期)に初期本百姓として実在している。1674(延宝2)年の検地帳の名請高は24石余で村内第6位であるが、同家の分家分を合わせると86石余となる。山田家が名主に就任するのは1738(元文3)年以降であり、それ以前は分家が1681−1687年(天和−貞享期)に名主役を勤め、山田家本家は名主を超えた家格であったという。1729(享保14)年4代山田庄左衛門の村内持高は164石余、村外持高は周村7か村に423石余で総反別は40町歩を越え、その大部分を小作に出すという大地主であった。以後土地保有はますます増大して90年後の1816(文化13)年には12か村にわたり750石を所持し、自ら名主役を勤め、村落にあっては政治的・経済的・社会的に名実ともに最高位を確保した(古川貞雄「近世地主の形成−信州高井郡江部村山田家の研究−」『信濃』第17巻2・3・7・8号、1965年、同「成立期質地地主制の構造−18世紀前半期信州高井郡山田家の研究−」『信濃』第24巻10・11・12号、1972年)。同家は1804−1843年(化政・天保期)に著名な学者山田松斎(通称庄左衛門、名前顕孝)を世に送っている。松斎は亀田鵬斎に師事し、大田南畝や頼山陽と親交があった。1781−1788年(天明年間)の飢饉のとき救恤に努めて幕府より賞された。また1807(文化4)年米価低落して農民が困窮すると200両を代官に献じて農民救済にあたらせた。著書に「国字攷補遺」「大和仮名考」「譬稲性弁」「経典穀名考」がある(児玉幸多「山田松斎伝」『歴史地理』第77巻3・4号、1941年)。1870(明治3)年の中野騒動では、庄左衛門家は焼打にあった。明治期には長野県下最大の地主として登場し、1890(明治23)年、長野県貴族院多額納税者議員互選名簿では、直接国税1092円余で、県下多額納税地主の筆頭であった。
(関係地)信濃国高井郡東江部村‐伊那県高井郡東江部村‐中野県高井郡東江部村‐長野県高井郡東江部村‐江部村‐下高井郡江部村‐平野村江部‐中野市江部[現在]
(主題)名主|地主
(役職等)名主|地主
伝来 1957年に原蔵者より譲渡。
入手源 原蔵者。
範囲と内容 山田家文書は(1)名主としての村政文書と(2)地主・豪農としての経営などに関する私文書に大別される。(1)村政文書としては、土地・年貢・村入用・御用留・救恤・交通・社寺・用水普請・村方出入・騒動、それに明治期の布達・地租改正に関するものが多い。(2)私文書としては、家計・農事記録・酒造・水車・金融・奉公人・質地小作・日記・家普請・冠婚葬祭等に関するものである。具体的に代表的文書名をあげるとつぎの通りである。(1)村政文書では、土地は1674(延宝2)年の検地帳写、1724-1736(享保9-21)年までの「御検地反別改覚」「地押改帳」「田畑水帳写」「田畑名寄帳」などの11冊などが揃っている。年貢は1707(宝永4)年「東江部村御年貢勘定目録」、1727(享保12)年「皆済目録」、1733(享保18)年「村々江御年貢金納帳」ほか多数である。御用留では、1739(元文4)年「御用留書帳」等、量的には少ない。救恤は1738(元文3)年「夫食拝借小前帳」、1742(寛保2)年「当六月満水ニ付信州高井郡東江部村夫食拝借割賦証文帳」、1742-1743(寛保2-3)年「東江部村飢夫食壱人別拝借証文」(3冊)、などである。交通では1768(明和5)年の「御用荷物駄賃帳」(信州中野・江部間)「御定人馬賃銭書上」等。社寺では、1771(明和8)年「氏神諏訪方宮修覆并上屋造立覚帳」等。用水普請では1730(享保15年)年「用水御普請仕様帳」等、幕末から明治初年に多く存在する。村方出入では、1775(安永4)年「印形出入一件」、1793(寛政5)年「前名主非道私欲之段惣百姓願書」等。騒動では1870(明治3)年「松代騒動主記」「見舞覚帳」、1871(明治4)年「中野県暴動見舞遣覚」等の北信世直し一揆の史料が見られる。明治期の布達として1875-1878(明治8-11)年「長野県布達」(6冊)、1878-1879(明治11-12)年「回章受取記簿」などがあり、地租改正では1875(明治8)年「地租御改正ニ付各邨議定書」、1876(明治9)年「地租改正新旧貢額精算牒」「地租改正各村明細表」等多数存在している。明治期の村政文書も少なくない。 (2)私文書では、山田家の家計に関しては、1703(元禄16)年以降の「万売買覚帳」(6冊)等。農事記録としては、1787・1791(天明7・寛政3)年「諸作日記」等。酒造経営では、1714(正徳4)年以降の「引(挽)米覚帳」、1725(享保10)年「巳造換米白米日記帳」等多数。水車経営では、1766-1771(明和3-8)年「水車御吟味ニ付達書写并申上書」(12通)等。金融では1830-1863(天保-文久)年「金子借用証文」(山田家宛、39通)、奉公人は1716-1735(享保年間)年「年々男女奉公人改帳」等、質地小作関係では1693-1705(元禄6年-宝永2)年「小作帳」(9冊)、1707年-1807(宝永4年-文化4)年「小作入帳」(30冊)、1729-1837(享保14-天保8)年「小作籾(年貢)請取帳」(27冊)等がまとまっている。日記は1759(宝暦9)年「道中日記帳」(西国巡礼の道中入用)、1788(天明8)年「愛鵞堂日記」(雑記録)。家普請は1724(享保9)年「家普請作料并材木調帳」、冠婚葬祭では、嫁入仕度や諸色覚帳が4冊、そのほか葬儀や百年忌の書類もある。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件 10箱分は、未整理につき閲覧できない。 *EAD-XML検索システムでの検索も可能ですが、閲覧を希望する場合は事前に情報サービス第2係(歴史資料担当)へお問い合わせ下さい。
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第75集(2002年)、『史料目録』第80・81・84集(2005・2006・2007年)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 原蔵者山田家(長野県中野市)には、小作帳・質地証文等1000点余が所蔵されている。
出版物 古川貞雄「近世地主の形成−信州高井郡江部村山田家の研究−」(『信濃』第17巻2・3・7・8号、1965年)、同「成立期質地地主制の構造−18世紀前半期信州高井郡山田家の研究−」(『信濃』第24巻10・11・12号、1972年)、児玉幸多「山田松斎伝」(『歴史地理』第77巻3・4号、1941年)
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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