【山城国京都徳大寺家文書||TOKUDAIJI family papers, Kyoto, the province of Yamashiro】
識別記号 ac1957007
資料記号 32G 33T
標題 山城国京都徳大寺家文書||TOKUDAIJI family papers, Kyoto, the province of Yamashiro
年代 1634年~1937年
主年代
年代注記 1634(寛永11)年-1937(昭和12)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 7m/321点
物的状態注記 321点(306冊、15枚)、このほかに未整理史料が少々ある。;近代のものには洋書形態のものが少なくない。
出所・作成 徳大寺家
履歴 徳大寺家は藤原北家閑院流の堂上公家であり、大臣・大将から太政大臣へ進み得る家である。家名は初代実能(1095‐1157)が京都葛野郡衣笠に徳大寺を建立したことによる。笛を家業としたが、和歌に秀でたものもいる。近世には家領として紀伊郡東九条村、葛野郡下山田村、同郡下津林村、愛宕郡浄土寺村で410石を与えられた。宝暦事件の際の当主公城は事件に関わり、落飾を命ぜられた。近世後期の実堅(1790‐1858)は武家伝奏を勤めた。次の当主公純は朝廷政治において中心的な役割を果たし、安政の大獄の際は朝廷における謀反の代表者と見なされ、和宮の降嫁でも幕府の批判を受けた。王政復古に際しては参朝停止となる。公純の子実則は1862(文久2)年に国事御用掛となる。尊王攘夷の立場を取り、維新政府のもとで参与、儀定職、内国事務総督となる。1871(明治4)年宮内省に出仕、侍従長となる。一時同職が廃職となるが、1891(明治24)年には内大臣を兼ね、1912(明治45)年明治天皇が死去するまで侍従長を勤めた。
(関係地)1.山城国京都‐京都府京都市[現在]|2.東京府東京市渋谷区‐東京都渋谷区[現在]
(主題)公家‐華族;太政大臣‐武家伝奏‐国事御用掛‐儀定‐内国事務総督‐侍従長
(役職等)公家‐華族;太政大臣‐武家伝奏‐国事御用掛‐儀定‐内国事務総督‐侍従長
伝来 1957・1958年度に古書店より購入。
入手源 古書店
範囲と内容 徳大寺家文書は大きく(1)近世の朝廷の年中行事、諸儀礼に関するもの(歌会始・七夕和歌など)、(2)家領支配関係文書(年貢と反別書上など土地関係)、(3)近代を中心とする家関係の文書からなる。ことに(3)のものが多く、近代の家、華族としてのつき合い、冠婚葬祭、旅行、軽井沢・日光滞在などの記録をはじめ、「御布告廻文写」(明治2-12年、18冊)、「華族会館回達簿」(明治14・15年、2冊)、「信書発受簿」「郵便発着簿」(大正9-昭和11年、16冊)、小遣簿(大正10-昭和12年)、断続的ではあるが1871(明治4)年から1936(昭和11)年までの日記(121冊)、明治期の雇用人に関する帳簿(4冊)、1904(明治37)年から1912(大正元)年の克明な聚芳園での園芸日記など(17冊)などがある。簿冊に用いた罫紙には、「徳大寺家」の名が印刷されている。その他に二条家(35M・45B参照)の由緒書、年貢勘定目録(7点)等もみられる。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件 未整理分は閲覧できない。
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第68集
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 『旧華族家史料所在調査報告書』(学習院大学史料館、1993年)により、東京大学史料編纂所・宮内庁書陵部などに徳大寺家文書の収蔵が確認されている。ことに史料編纂所には昭和期の「徳大寺家旧蔵書目録」、明治30年代の写しである「徳大寺家歴代日記目録」などが認められる。
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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