【信濃国佐久郡御影新田村柏木家文書】
識別記号 ac1953008
資料記号 28H
標題 信濃国佐久郡御影新田村柏木家文書
年代 1650年~1894年
主年代 江戸
年代注記 1650(慶安3)年-1894(明治27)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 7m/2038点
物的状態注記 2038点(455冊、1554通、29綴)
出所・作成 柏木家
履歴 柏木氏はもと小林を姓とし、柏木という地名に在住していた。小林遠江のとき武田信玄に仕え、知行地としては、信州佐久郡柏木・与良・松井等で370貫文の領地を与えられていた。その後武田氏と運命をともにし、武田氏滅亡後は上州藤岡に転居した。その後、信州の旧地柏木に戻った。御影新田の開発人(新田見立人ともいう)となった小右衛門は1608(慶長13)年に生まれ、柏木に居住し、すでに仕官の道をすて、土着帰農して、開発を志したのである。しかし、この小右衛門がどのようにして用水を開発し、御影新田を成立させたかについては、残念ながら、当時の史料はほとんど残っていない。小右衛門は1686(貞享3)年7月25日、79歳で病死した。小右衛門家は村高830石の10分の1にあたる83石に関しては年貢以外の諸役が免除されていた。また毎年田植えの時期には、村中から1日宛同家へ手伝いをする事が慣行になっていた。1650(慶安3)年の用水の開通により新田開発がなされて以来、15年間は名主役がおかれず開発人としての柏木家が「差配」してきたが、15年後の1664(寛文4)年に、分家に名主役を勤めさせ、1718(享保3)年以後は、柏木家以外の小四郎が名主役を勤めた。とくに支配関係で注目されることは、柏木家の屋敷内に幕府代官支配所の御影陣屋が置かれていたことである。 御影陣屋は、1699−1712(元禄12−正徳2)年までの14年間と、1749−1868(寛延2−慶応4)年までの120年間の2期にわたって設置されていた。
(関係地)信濃国佐久郡御影新田村‐長野県小諸市御影新田[現在]
(主題)新田開発人
(役職等)新田開発人
伝来 1953年に原蔵者より譲渡。
入手源 原蔵者
範囲と内容 柏木家は、いわゆる名主役ではないので、村方文書の基本史料が全般的に所蔵されているということはなく、むしろ、御影新田開発人として、用水史料が783点(38.4%)、貢租・諸役関係史料が425点(20.8%)、それに開発人としての柏木家に関するものが344点(16.8%)で、以上で全体の76%を占めている。それゆえ、文書の構造としては、開発人、用水、支配、土地、貢租、諸役、村の6項目が柱となる。文書の内容としては、御影新田村に関する開発人と村民との利害関係や用水の維持管理が中心となるが、柏木家では、享保期以前の文書に関しては「書物盗難ニ合」って所持していないという。村方文書のうち、御検地水帳、御割付・皆済目録等、すなわち、土地と年貢の基本文書は柏木家で「預リ置」、村役人が必要な場合に借用させ、用済み次第返却させた。また年貢皆済勘定等は小右衛門宅で行うのが慣行であった。用水に関しては、小右衛門と重立村役人が相談して執行するようにしていた。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第45集(1987年)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 原蔵者柏木易之氏(埼玉県大宮市)が柏木家系図や大原幽学に関するもの等500点ぐらいを所持している。なお、大原幽学関係の史料については、斉藤洋一「大原幽学と上田町・小諸町との関わりを示す史料」(『学習院大学史料館紀要』第8号、1995年)がある。
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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