【出羽国米沢藩紙蝋御蔵史料】
識別記号 ac1948026.0401
資料記号 23Z4(1)
標題 出羽国米沢藩紙蝋御蔵史料
年代 1777年~1871年
主年代 江戸後
年代注記
記述レベル collection
書架延長/数量 /57点
物的状態注記 92点;数量の内訳(『史料館所蔵史料目録』第10集(1964年)による)79冊、12通、1綴。
出所・作成 日本常民文化研究所
履歴 日本常民文化研究所(アチック・ミューゼアム)は、渋沢敬三(1896-1963)が主宰した博物館兼研究所で、当初はアチック・ミューゼアムであったが、戦時中に外国語を避けて日本常民文化研究所と改称した。敬三は渋沢栄一の嫡孫で、1921(大正10)年に東京帝国大学経済学部を卒業後、横浜正金銀行、第一銀行に勤め、1942(昭和17)年日本銀行副総裁、1944(同19)年には総裁に就任して、戦時金融の運営にあった。戦後は1945(同20)年10月に幣原内閣の大蔵大臣を勤めた。1953(同28)年には国際電信電話株式会社の初代社長となり、その他数々の要職を勤めて日本経済界の発展に尽くした。その一方で、アチック・ミューゼアムを主宰し、初めは友人と自邸の一隅の屋根裏部屋に玩具などを収集していたが、昭和初期には邸内の独立した建物に移って民具の収集及び民俗学の研究を始めた。敬三は1933(同8)年頃から実業史博物館設立を提唱し、以後10年にわたる資料収集が進められたが、これらの民俗資料は戦後文部省史料館(現史料館)に移された。また、敬三は1932(同7)年豆州内浦漁民史料を整理したことが契機となってアチック・ミューゼアムとはほかに祭魚洞文庫を建てて若い研究者らと日本水産史の研究を始めるとともに、日本水産関係史料の収集と研究を行うようになり、地方在住の農民や漁民の生活誌を記録させ、それらの成果をアチック・ミューゼアム彙報・ノートとして刊行した。祭魚洞文庫の由来は、敬三が祭魚洞と号したことによる(『渋沢敬三著作集』第1−5巻、平凡社、1992・1993年)。1963(同38)年敬三の没後は財団法人として研究所を継続していたが、戦後、収集史料の一部は水産庁水産資料館(現中央水産研究所)と文部省史料館に移された。その残りの一部は1972年に日本通運(株)を経由して流通経済大学へ移された。1981年より研究所は神奈川大学に移譲され、神奈川大学は日本常民文化研究所と活動している。
(関係地)出羽国米沢町
(主題)紙蝋御蔵|紙|蝋
(役職等)―
伝来 1948年度に日本常民文化研究所より譲渡。
入手源 日本常民文化研究所
範囲と内容 明治4(1872)年、廃藩置県までの米沢藩の紙蝋御蔵に関する史料他。内容は以下の通り。 (1)近世文書では、江戸へ出荷する蝋の御用留が寛政9(1797)年から文政9(1826)年分まで二冊ある。また、蝋の算用帳、勘中帳といった蝋の取引に関する帳面の類が大部分を占める。それ以外には、年不明の慶安触書写、安永6(1777)年の「郷村取立旧記」、文政13(1830)年から安政5(1858)年にかけての「家督以来勤方留帳」3冊、などがある。 (2)近代文書の主なものは、「蝋御蔵諸算用帳」が明治3(1871)年のものは7冊、明治4(1872)年のものは3冊である。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件 EAD-XML検索システムでの検索も可能ですが、閲覧を希望する場合は事前に情報サービス第2係(歴史資料担当)へお問い合わせ下さい。
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第10集(1964年)「祭魚洞文庫旧蔵史料目録」
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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