【武蔵国幡羅郡太田村掛川家文書】
識別記号 ac1948026.02
資料記号 23Z2
標題 武蔵国幡羅郡太田村掛川家文書
年代 1612年~1919年
主年代 江戸後
年代注記 1612(慶長17)年-1919(大正8)年、享保期から明治初年が多い。
記述レベル fonds
書架延長/数量 5m/2902点
物的状態注記 2902点(1062冊、1620通、211綴、1折、1鋪、7枚)
出所・作成 掛川家
履歴 幡羅郡太田村は幕府領であったが、1616(元和2)年松崎氏、1637(寛永14)年三枝氏、1698(元禄11)年長井氏に宛行われ旗本3給地となった。1869(明治2)年永井太田村と改称し、89年、7か村が合併して太田村となった。1869年岩鼻県、1871年群馬県、1873年熊谷県、1876年埼玉県に所属した。1896年郡制施行にともない大里郡に属した。 掛川家は旗本3給地のうち、太田村で500石を知行した旗本松崎氏所領(西組)の組名主を世襲した。ただし1828(文政11)年から1848(嘉永元)年までは割元役に任命され、名主は他家で勤めた。また、1873年から1884年まで戸長、1898(明治31)年から1901年(明治34)まで永井太田村の村長を勤めた。明治期に入ってから質屋を営業した。
(関係地)武蔵国幡羅郡太田村‐永井太田村‐岩鼻県幡羅郡永井太田村‐群馬県幡羅郡永井太田村‐熊谷県幡羅郡永井太田村‐埼玉県幡羅郡太田村大字永井太田‐大里郡妻沼町大字永井太田[現在]
(主題)名主|戸長
(役職等)名主|戸長
伝来 1948年度に日本常民文化研究所より祭魚洞文庫の一部(→豆州内浦史料と一括購入)として引き継いだ。
入手源 日本常民文化研究所
範囲と内容 (1)永井太田村の西組名主引継文書、(2)太田村戸長役場文書、(3)掛川家の家文書から構成される。(1)には、天和2(1682)年「忍領村高覚帳」、安政5(1858)年「御賄御仕法帳」等の支配(法制、地頭、御鷹)、土地、貢租(貢租、蔵米、課役)、村(村況、村政、村入用)、戸口、用水・普請、治安・訴訟、災害・救恤、交通・運輸、金融、寺社に関する史料がある。なかでも、慶長17(1612)年からの近世初期の年貢割付状は書式に特色がある。寛保2(1742)年「三給水災書上」「水所御見分御尋之訳書上」等の寛保水害関係や、旗本へ納める年貢・先納金、御用金、才覚金に関する多様な史料が多い。(2)には埼玉県布達、貢租、地租改正、村政、民費、戸籍、用水・普請、産業、学事、軍事、寺社に関する史料がある。(3)には、家、土地証文、租税、経営、家計・金融、雑に関する史料がある。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第10集(1964年)
原本の所在
利用可能な代替方式 埼玉県立文書館が全文書を撮影している。
関連資料
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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